Lotus78 History & Markings – Vol.25 1978 Rd.1 Argentine GP


前回から約2か月のブランクが有りましたが、Lotus78 History & Markingsの連載再開、そして今回よりいよいよ1978年編へと突入し、1978年1月15日に決勝が行われた開幕戦アルゼンチンGPでのロータス78について取り上げます。チーム・ロータスは前年に引き続きエースを務めるマリオ・アンドレッティと、アロウズへ移籍したグンナー・ニルソン(実際には既に闘病生活に入っており、レースには不参戦)に代わり、約2年振りのチーム復帰となったロニー・ピーターソンというコンビで1978年シーズンに臨む事になりました。チーム・ロータスは既に1977年12月にフランスのポール・リカールにて、後にF1の歴史に残る名車となるロータス79を1978年用マシンとして発表していましたが、79はマシン自体、そして搭載を予定していたゲトラグ社との共同開発となるオリジナル・ギアボックスは共に開発途上にあり実戦で戦えるレベルになっていなかった為、前年型の78で引き続き1978年シーズン序盤を戦う事になりました。
GP開催地となるブエノスアイレス・サーキット(後にオスカー・ガルベス・サーキットと改称)はブエノスアイレス郊外に有る湖を囲む様にレイアウトされたサーキットで、立地上コースはほぼフラット、前半となる湖の周回路はオーバルに近い(但し右回り)超高速区間、そして後半はツイスティな低速区間というレイアウトでしたが、それ以前に治安の悪さで関係者の評判はすこぶる悪く、ブエノスアイレス市街どころかサーキットの中、コースサイドに至るまで武装兵士が絶えず監視しているという異様な雰囲気の中でレースが開催されていました。そしてフォークランド紛争により1981年を最後にF1カレンダーから外れましたが1995年に復活、この時はスタート地点から湖の周回路をショートカットして低速区間のみを使用して行われたものの、やはり関係者の評判は芳しくなく1998年を最後にアルゼンチンでのF1開催は途絶えています。

写真:1978年開幕戦アルゼンチンGP決勝(LAP52/53!)、ポールポジションから独走し、地元アルゼンチン出身でワールド・チャンピオン5回の偉人ファン・マヌエル・ファンジオが振り下ろすチェッカーを受けるマリオ・アンドレッティのJPS17。この直前、ファンジオは周回遅れに近かったロニー・ピーターソンをアンドレッティと勘違いしてチェッカーを振ってしまい、レースは記録上当初の53周より1周少ない52周で終了となったという曰く付きのシーンでもある。前年ランキングこそ3位に終わったものの最多勝(4勝)、最多ポール(7回)、最多リードラップ(279周)を記録したアンドレッティとJPS17の最速コンビは1978年になっても健在で、終始全く後続を寄せ付けず完璧な勝利を飾った。(ZDF


【FILE 69. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.13-14.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初に紹介するのは約2年振りのチーム復帰となったロニー・ピーターソンのレースカーとなったJPS16。前年同郷の後輩であったグンナー・ニルソンはシーズン終盤にはレースカーとしてJPS18を使用しましたが、アンドレッティ同様ピーターソンも軽量化シャシーのJPS18は気に入らず、以後JPS18はスペアカーとして用いられる事になりました。リアウィングにはガーニーフラップが装備され、そしてシーズンが新しくなった事によりウィニング・ローレルが消えており、その他モノコック左側にあったキルスイッチ位置現示マークが無くなっている事も挙げられます。ピーターソンのマシンの特徴として、ロールバーの高さがアンドレッティ用よりも高くなっている事が挙げられますが、しかし前年のニルソン用の物よりもやや背が低く、頂部はインダクションボックスより僅かに高い程度のものとなっています。また、インダクションボックス両脇にはパーソナルスポンサーであるポーラー・キャラバンのホッキョクグマを模したロゴ(左右共に頭がリア向き)が貼付されています。このロゴはJPSカラーではなく、KONIのロゴと同様に金箔となっているのが特徴です。
ピーターソンは金曜日に、冒頭に紹介したロータス/ゲトラグ製の新開発ギアボックスをJPS16に搭載して走行しました。このギアボックスは従来のヒューランド製と比較して非常に軽量・コンパクトで、かつクラッチ操作なしでシフトが可能という特徴を備えていました。また外観上の特徴として、リアのオイルクーラーがウィングステーに沿って垂直に取り付けられています。かつてロータス76(JPS9)でクラッチレス・シフトを経験しているピーターソンはオフからテストを積み重ねていましたが、このギアボックスは繊細でトラブルが多く、金曜のセッションでも総合5番手タイムとまずまずの結果を残しながらも間もなくセレクション系にトラブルが発生、土曜日以後はヒューランド製に戻される事になりました。土曜日は重いヒューランドのギアボックスにセットアップが合わず、グッドイヤーのスペシャルタイヤも繊維剥離してしまうという不運はあったものの3番手にポジションを上げ、決勝に臨む事になりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備
・ポーラー・キャラバンのロゴはインダクションボックスのエアインテーク側面に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


【FILE 70. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.15.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらが決勝時のJPS16。最大の特徴として、前年の南アフリカGPで装備されていたラジエーターのエアアウトレット前面のフィンが復活した事が挙げられます。しかし前年の仕様とは若干異なり、フィンの周囲にパーツが張り出しており、その一部がサイドウィング上面のJPSストライプを覆う様になっています。目的としてはラジエーターを通過した空気の抜けを良くし、冷却効率を高める効果、そして僅かながらサイドウィング上面で得られるダウンフォースの増加が考えられますが、何故このタイミングで突然復活したのかは不明です。このフィンはこの後ほぼ標準的に装備される事になります。またエンジンについては、カムカバーにニコルソンのロゴが見当たらない事、コスワースのスペシャルDFVはアンドレッティが使用していたと思われる為、ピーターソンはノーマル仕様のDFVを使用した可能性が高そうです。また余談ながら、ピーターソンのトレードマークであるヘルメットの黄色いヒサシですが、このレースではなぜか青いヒサシが用いられた様です。
決勝を3番手からスタートしたピーターソンでしたが、アンドレッティとは対照的にハードタイヤを選択した事が裏目に出てしまい、土曜日同様にヒューランドのギアボックスにセッティングが合っていない事も相まって酷いアンダーステアに苦しみます。スタートこそロイテマンをパスして2番手に上昇したものの直ぐに抜き返され、やがてワトソン、ラウダのブラバム勢、そしてティレルのパトリック・デパイエにパスされ、徐々にポジションを落として行きます。更にレース中盤を過ぎた頃からコクピット内の熱によりスロットルペダルが過熱、右足に火傷による水脹れが出来てしまい、アクセルオフ時は足を完全にペダルから離しながらのドライビングを強いられます。しかも53周レースも残り1周となりコントロールラインを通過しようとした時、ピーターソンをアンドレッティと勘違いした競技長のファン・マヌエル・ファンジオがピーターソンにチェッカーを振ってしまいます。レースが終了したものと思いペースを落としたピーターソンは、レーシングスピードで迫ってくる後続車に慌てる破目になりますが、レースは52周で終了となり、ピーターソンはチーム復帰戦を5位というリザルトで終える事になりました。

・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備
・ポーラー・キャラバンのロゴはインダクションボックスのエアインテーク側面に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


【FILE 71. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.13-14.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
前年に引き続き、マリオ・アンドレッティはJPS17をレースカーとして使用しました。イラストはプラクティスの状態と思われる状態で、興味深いのは右サイドウィング後端部分のJPSストライプが消えている様に見える事です(左サイドは不明)。またフロントウィング翼端板はこれまでJPS17に装備されていた半月型から、ニルソンのJPS16が装備していたのと同様の舟形に改められ、以後シーズンを通じてこの形状が使用される事になります。また、文献には特に記述は無いものの、1978年も引き続きアンドレッティはコスワースのスペシャルDFVをメインで使用した物と思われます。
1月の猛暑に見舞われたアルゼンチンでのアンドレッティは、前年の爆発事故程は酷くはなかったものの金曜からいきなり躓いてしまい、午前はフューエルメータリングユニットのOリング不良によりまともに走れず最下位に沈みます。それでも午後には地元観衆の大声援と新たに参入したミシュランタイヤのサポートを受けたフェラーリのカルロス・ロイテマンに次ぐ2番手のタイムを刻むものの、今度はエンジンがブローしてしまいます。しかし最終的に土曜には、ロイテマンのタイムをコンマ1秒破ってポールポジションを獲得しました。この結果はミシュランに対抗する為にグッドイヤーがトップチームにのみ、各2セットづつ供給したスペシャルタイヤをアンドレッティが上手く活かした事も大きな要因でした。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・右サイドプレート後端部分のJPSストライプ無し(左側は不明)
・リアウィングにガーニーフラップ装備


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


【FILE 72. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.15.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらが決勝時のJPS17で、JPS16同様にラジエーターのエアアウトレット前面のフィンが装備されています。また、プラクティス時には消えていた右サイドプレートのJPSストライプは描き直されたのか、この決勝仕様ではハッキリと確認出来ます。
決勝でソフトタイヤをチョイスしたはアンドレッティはポールポジションからスタートを決め、逆にハードタイヤでペースが上がらないロイテマンをみるみる引き離し、序盤にして早くも10秒以上のリードを築きます。レース中盤に入って左フロントタイヤにブリスターが発生したアンドレッティは、2位を走行するブラバムのジョン・ワトソンとの10秒のギャップを保ちながら、タイヤを労わりながらの走行を強いられます。しかしアンドレッティは結局フィニッシュまで全くテールを脅かされる事が無いまま、最終的に2位となったブラバムのニキ・ラウダに13秒もの大差を付けてフィニッシュ、独走で開幕戦勝利を挙げました。このアンドレッティの独走ぶりは、マクラーレンのジェームス・ハントが、78/1を譲渡されたメキシコ人ドライバー、ヘクター・レバークを引き合いにして、「俺にもロータス78を1台譲ってくれ!」とコメントした程でした。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


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