Lotus78 History & Markings – Vol.30 1978 Rd.5 Monaco GP


今回は1978年5月7日に決勝が行われた第5戦モナコGPでのロータス78について紹介します。シーズン開幕からおよそ4カ月が過ぎたこのモナコで、チーム・ロータスは遂に1978年用マシンであるロータス79(79/2=JPS20)をパドックに持ち込んでマリオ・アンドレッティのスペアカーとして登録しました。アンドレッティは木曜午後のプラクティスで数周の走行を行ってマシンのフィーリングを確認しましたが、2日目となる土曜日以後は結局JPS17で走行しています。しかし如何に前年最速マシンの呼び声高かった78と言えど、既にシーズンも中盤に差し掛かろうとしていたこの時期に及んでは、既にニューマシンの熟成を進めつつあるフェラーリのカルロス・ロイテマンやブラバムのニキ・ラウダといった強敵相手にチャンピオンシップでトップを争うには絶対的な戦闘力低下は否めず、79の早期投入が待ち望まれる状態になっていました。

写真:1978年モナコGP決勝(LAP15/75)、トップを争う3台から大きく遅れた4位争いをリードし、エルミタージュの坂を駆け上がるマリオ・アンドレッティのJPS17。すぐ背後で追うジョディ・シェクターのウルフWR1に続き、6位を走行するロニー・ピーターソンのJPS16の姿も見えるが、更に写真では見えないものの更にその後にはフェラーリのジル・ヴィルヌーヴが続く。何れ劣らぬ実力者3人を若獅子が追うという見応えのある白熱したバトルだったが、結局シェクターのみが最後まで生き残って3位を手にしたものの、アンドレッティはトラブルで後退、ピーターソンとヴィルヌーヴはレースをフィニッシュ出来なかった。(ZDF


【FILE 86. 1978 Rd.5 MONACO GP – May.4-7 1978】 v1.1
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初に紹介するのはロニー・ピーターソンのレースカーJPS16の木曜日時点と思われる状態です。前戦USGPウェストではストリート・サーキットのロングビーチでありながら比較的ダウンフォースの少なめのリアウィングを装備していましたが、このモナコでは以前より低速サーキットで用いられた、後縁がほぼ直立に近い大型の追加フラップを装備したマキシマム・ダウンフォースの物が用いられています。また、そのフラップとメインエレメントの間には黒のテープと思しき素材で隙間を埋めている様に見え、JPSストライプはJohn Player Specialの文字の手前で切れています。そして毎回変遷を続けるポーラー・キャラバンのホッキョクグマですが、今回は前回のUSGPウェストと同様にドライバー名右側、そして頭の向きも同じく左サイドがフロント向き、右サイドはリア向きになっています。
モナコを得意とし、1974年には優勝も経験しているピーターソンでしたが、初日である木曜日午前は4番手と好調だったものの、セッション終了直前にマシンをバリアにヒットさせてしまった為に午後はノータイムとなり、7位に終わりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名右側に記入(左はフロント側、右はリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v1.1(2013/1/1) 土曜日以後の状態に関する記述をFILE.87に分離(Thanks to A BOOKSHELFさん)


【FILE 87. 1978 Rd.5 MONACO GP – May.4-7 1978】 v2.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらはJPSJPS16の土曜日以後と思われる状態で、決勝もこの状態で走行しています。注意点は木曜日午前のプラクティスでダメージを受けたフロント周りを修復した形跡が有る点で、その最大の特徴としてフロントノーズは恐らくアンドレッティ用のフロントノーズを利用して、フロントノーズのカーナンバー6は5の上からステッカーで貼り付けたと思われる形跡があります。具体的には「6」左上部分には角張りが見られ、更にカギ部分には「5」上部の水平な線が、そして「5」の下部カギ部分にそって2本の線が入っているのが確認出来ます。その他そのノーズ部分に繋がるコクピットカウル両脇のJPSストライプは途中で途切れているのも相違点です。尚、このレースでピーターソンが使用したエンジンは確認出来る写真が無い為に不明で、モナコのパドックにおける写真では先に触れたスペアカーのJPS20にはコスワースのスペシャルDFVが、そしてアンドレッティのJPS17にはニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVが搭載されていた事が確認出来ており、ピーターソンはこのモナコではノーマル仕様のDFVを使用した可能性があります。もっともコスワース・スペシャルやニコルソンは共に高回転を指向したチューニングの為にパワー特性がピーキーであったものと思われ、低速でトップスピードの低いモナコではノーマル仕様のDFVでもそれ程のハンディは無かったものと思われます。
木曜日のプラクティスでクラッシュしたピーターソンのJPS16は土曜日には修復され、気温が上がってコンディションが厳しくなった中でタイムアップを果たしたものの、順位は変わらず7位スタートとなりました。日曜のレースではスタート直後の第一コーナーでポールスタートだったフェラーリのカルロス・ロイテマンとマクラーレンのジェームス・ハントのアクシデントを回避したものの、後方からスタートしたウィリアムズのアラン・ジョーンズとウルフのジョディ・シェクターにパスされた為、順位は変わらず7位で序盤を走行します。前車に行く手を阻まれてペースが上がらない上に、すぐ前を走っていたジョーンズがマシンのテールから白煙が上がり始めたにも拘わらずそのまま数周にも渡って走行を続けた為、ピーターソンはそのオイルをまともに受けながらの走行を強いられます。13周目にようやくジョーンズが脱落して6位、44周目にチームメイトのマリオ・アンドレッティがトラブルによりピットインした為に5位に順位を上げましたが、56周目にギアボックスのトラブルによりリタイアとなってしまいました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ(5の上から貼り付けた形跡あり)
・コクピットカウル周りのJPSストライプ無し
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名右側に記入(左はフロント側、右はリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v1.1(2013/1/1) 土曜日以後の状態に関する記述をFILE.86から分離(Thanks to A BOOKSHELFさん)


【FILE 88. 1978 Rd.4 MONACO GP – May.4-6 1978】 v2.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのJPS17も基本的にはJPS16と同様の仕様で、リアウィングにはマキシマム・ダウンフォースになる大型の追加フラップを装備しています。その他のマーキングも基本的にはJPS16と同仕様です。またFILE.86でも述べた通り、モナコのパドックにおける写真ではJPS17にニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVを搭載されているのが確認出来ますが、しかし従来とは異なり今回はニコルソンのロゴがカムカバーの後下方に貼付されている為、走行時はサイドウィングのアップスイープに隠れる形となり外見からは確認出来ません。従ってレースウィークを通じてアンドレッティがニコルソンを使用したかどうかは確証がありませんが、一応ここではニコルソンを使用したとしておきます。
アンドレッティは木曜午前のプラクティスを特に大きなトラブル無く消化し、ポイントリーダーで並ぶフェラーリのカルロス・ロイテマンに続く2番手に着け、そして午後にはついにロータス79(JPS20)で走行を開始します。このJPS20は去る3月にシルバーストーンで行われた行われたノンタイトル戦、インターナショナル・トロフィーでのレースにおけるクラッシュによるフロント周りのダメージの修復と、そしてこのシーズンに投入する筈だったロータス/ゲトラグ製ギアボックスの開発中止に伴い、ヒューランド製ギアボックスとそれに合わせた新設計のリアサスペンションを装備していました。アンドレッティはJPS20のフィーリングを確認しながら数周の走行を行いました(Hamlyn Publishing刊「Mario Andretti – World Champion」によれば、アンドレッティは数周走っただけでゲトラグ製ギアボックスに装着されていたリアサスペンションよりもハンドリングに好感触を得た様です)が、リスクの高いモナコではこれ以上の走行は見送り、以後はJPS17での走行へと切り替え、結局ブラバムのニキ・ラウダに抜かれるものの初日は3番手で終えてまずまずのスタートを切ります。しかし土曜日にタイムを伸ばす事が出来ず、この日ジャンプアップを果たしたブラバムのジョン・ワトソンにも抜かれて決勝はラウダと並ぶ2列目4位からのスタートとなりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー後下方に記入(サイドウィングのアップスイープにより外見からは判別不可)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v2.0(2013/1/1) FILE.86の記述追加に伴い改番


【FILE 89. 1978 Rd.4 MONACO GP – May.7 1978】 v2.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
日曜の決勝時、アンドレッティのJPS17には、フロントノーズのカーナンバー5の下に、前年のロングビーチで記入されたのと同様の赤いストライプが入りました。この時にも述べましたが、ピーターソンのマシンとの識別性を高めるのが目的と考えられますが、何故この2レースだけこの様な方法が取られたのか、その理由は不明です。
アンドレッティは決勝を4位からスタートし、スタートでホイールスピンを起こしたロイテマンを抜いたものの、第1コーナーのサン・デボーテを6位スタートから絶妙なコース取りですり抜けたティレルのパトリック・デパイエに抜かれた為に順位は変わらず4番手で序盤を走行する事になります。しかしレース直前にグッドイヤーのエンジニアがよりソフトなコンパウンドのタイヤに変更した事が災いしてマシンバランスが崩れ、アンドレッティはトップ3台のバトルについて行く事が出来ず、たちまち大きく引き離されて行き、背後にウルフのジョディ・シェクター、ウィリアムズのアラン・ジョーンズ、チームメイトのロニー・ピーターソン、そしてフェラーリのジル・ヴィルヌーヴの4台従えてのバトルを展開する事になります。しかし44周目のトンネルを走行中にアンドレッティのマシンは燃料パイプが裂けて燃料がコクピット内に噴き出すトラブルが発生、アンドレッティは視界を奪われながらも何とか危機を脱してピットまで辿り着きますが、しかしピットでの作業では処置に限界があり、都合3回のピットインを繰り返したアンドレッティは6周遅れの11位に終わりました。
1977年第4戦USGPウェストでデビューウィンを飾って以来長きに渡りアンドレッティと共に戦い、優勝5回、ポールポジション8回を記録して最速マシンと称されたJPS17でしたが、次戦ベルギーGPからは遂にJPS20がレースに本格投入される事になり、以後JPS17はアンドレッティ用(イギリスGP以後はピーターソン用)のスペアカーとして使用される事になります。そして9月10日に行われた第14戦イタリアGPのウォームアップでJPS20をクラッシュさせたピーターソンがレースで使用し、そこで悲劇に見舞われる事になります。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントノーズのカーナンバー5の下に赤ストライプ追加。
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー後下方に記入(サイドウィングのアップスイープにより外見からは判別不可)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v2.0(2013/1/1) FILE.86の記述追加に伴い改番


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


2 thoughts on “Lotus78 History & Markings – Vol.30 1978 Rd.5 Monaco GP”

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    お久しぶりです。非公開記事が多い私のブログですが、
    この度、「友だち登録」をして頂ければ、ほぼ全ての記事が見れる様に設定いたしました。
    支障がなければ登録依頼を頂くと幸いです。
    【ID登録】http://id.yahoo.co.jp/
    【友だち登録】http://help.yahoo.co.jp/help/jp/blog/profilebadge/profilebadge-05.html
    ところで、ピーターソンのフロントカーナンバーですが、6の左上部が角張っている写真がありますので、ご確認下さい。(PLAYBACK書庫・1978イタリアGPの記事内に当該写真あり)
    PS.今年1年、連載お疲れさまでした。本サイト作成に係る熱意とパワーに頭の下がる思いです。
    これからも楽しみにしていますので、更新がんばって下さい。

  2. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    A BOOKSHELFさん
    登録のご案内有難うございます。早速依頼させて頂きましたので宜しくお願いします。
    また、コメントありがとうございます。記事が参照できるようになり次第、確認させて頂きます。
    最近少し記事の更新が滞りがちになっていたのですが、年末休みを利用して少し先の記事まで書けました。と言ってもあとベルギーで1回、イタリア&その他(オリンパスロゴ入り)で1回、あと追補編、ダイジェスト編というところでしょうか。。。
    A BOOKSHALFさんの写真にはいつも大変助けられています。やはり考証には動かぬ証拠である当時の写真に勝る資料は無く、しかもそこから様々な推理が展開して、個人的にはこの楽しみは尽きません。これからも宜しくお願い致します。

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