今回はブラジルGPから6週間ものインターバルを経た3月4日(土曜日)にキャラミ・サーキットで決勝が行われた1978年南アフリカGPでのロータス78について取り上げます。1月の南米2戦を終え、各チームはこの6週間のインターバルの間にニューマシンの開発を進め、フェラーリやブラバムは1978年用マシンを完成させ、GP開幕に先立って同サーキットで行われたテストを経てレースに臨む事になりました。このテストはグッドイヤー、ミシュランの両タイヤメーカーにとっても重要な事前テストとして位置づけられ、前者は約10種類、3000本ものタイヤを持ち込む力の入れ様でした。一方キャラミ・サーキットは資金難から開催が危ぶまれていましたが、何とか全国紙であるシチズン・ニューズのスポンサーを得て開催に漕ぎ付ける事が出来ました。そしてレースは、トム・プライスの惨劇によって沈痛な空気に包まれた前年から一転、F1世界選手権として通算300戦目となる記念のレースにふさわしく、次々とトップが入れ替わり、最終ラップまで目が離せないエキサイティングなものとなりました。
写真:1978年南アフリカGP最終ラップ(LAP78/78)、コース奥のクラブハウス・コーナー立ち上がりでホイール・トゥ・ホイールのトップ争いを展開するパトリック・デパイエのティレル008(手前)とロニー・ピーターソンのJPS16。エンジントラブルによりパワーを失いながら必死の抵抗を見せたデパイエだったが、この直後のエセス・コーナー入口でピーターソンはデパイエのインをこじ開けてパス、チーム・ロータス復帰後初勝利を挙げた。(ZDF)
【FILE 77. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.2-3.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson
参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初はプラクティスにおけるロニー・ピーターソンのJPS16。チーム・ロータスはキャラミまでに軒並みニューマシンを投入した他チームと異なり、引き続き前年型であるロータス78をこのレースでも使用しますが、更にマシンの開発は進められ、このレースからサイドスカートが従来のSuck-Downタイプからスライディングスカートへと変更されます。このスライディングスカートはニューマシンであるロータス79の開発からフィードバックされた物で、モノコック側に設けられたパンタグラフ状の板バネによってスカートを路面に押し付ける構造となっています。これによって加減速時のマシンの上下動の際にもスカートは路面からの空気の流入を防ぎ、より安定したダウンフォースが得られる様になっています。またこの他にも高速サーキットのキャラミに合わせ、リアウィングのエレメントは再びローダウンフォースの物が使用され、今回はガーニーフラップも装備されていない様に見えます。今回も両サイドラジエーターアウトレットのフィンは装備されていますが、前戦ブラジルGPにて用いられたフロントのオイルクーラーのフィンは外されています。またマーキングの特徴として、前戦まではインダクションボックスのエアインテーク部分に記入されていたポーラー・キャラバンのロゴはモノコック側面のドライバー名前方に移されています(向きは左右共にリア側が頭)。
ピーターソンは南アフリカでも引き続き、木曜日にロータス/ゲトラグ製ギアボックスを試すものの、やはりクラウンギアとピニオンが破損してしまいます。しかしスペアカーのJPS18はアンドレッティがレースカーであるJPS17のステアリングトラブルにより使用していた為に使用出来ず、ピーターソンは私服に着替えての見物を余儀なくされます。金曜日には結局ヒューランド製のギアボックスに戻したものの、セットアップが不十分な上に今度は短いキャラミのコースでトラフィックに苦しみ、予選結果は12位という不本意な物に終わってしまいました。
<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にリア側が頭)
<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成
【FILE 78. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.4.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson
参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらがピーターソンが土曜の決勝にて使用したJPS16の姿。最大のポイントは、コクピット開口部前方に位置しているフロント側のロールフープが大型化され、干渉を避ける為にコクピットカウルに穴が開けられている点です。このモディファイが行われたタイミングは不明で、キャラミで撮影された写真の数点はこのロールフープが従来通りの物もあり、またピーターソンはスペアカーであるJPS18は使用していない事から、週末のどこかのタイミング(木曜の夜or金曜の夜)で行われた可能性が高いです。しかし太い金属パイプを曲げて従来のロールフープに溶接するという容易とは言えない作業であるはずで、可能ではあるもののピットでの一夜の作業で行われたのかという疑問も残ります。従って従来の形状の写真は直前のキャラミ・テストでの状態であった可能性も考えられます。また、決勝ではフロントノーズのオイルクーラーのエアインテーク上方にフィンを追加した状態で走行しています。
決勝ではピーターソンはストレートスピードの不足によりポジションを上げる事が出来ず、序盤は苦しい走行を強いられます。この為ピーターソンは予めブリスター対策としてイン側のショルダーを削っていた左フロントタイヤを温存し、我慢の走行に徹します。そしてピーターソンの期待は的中し、レースが中盤から終盤に差し掛かる頃、高地であるキャラミ名物のエンジントラブルが主な原因となり、彼の前を走るドライバーが次々と脱落を始めます。39周目にはルノー・ターボで高地の薄い酸素をものともせず圧倒的なストレートスピードを誇っていたジャン-ピエール・ジャブイーユがミスファイアで、53周目にはポールポジションからスタートしたブラバムのニキ・ラウダがエンジントラブルでリタイア、そして53周目から56周目にかけてサーティーズのルパート・キーガンとフェラーリのジル・ヴィルヌーヴがオイルをコースに撒いてリタイアした事が混乱に拍車を掛け、フェラーリのチームメイトであるカルロス・ロイテマン、マクラーレンのパトリック・タンベイがこのオイルに乗ってクラッシュ、さらに60周目には地元観衆の期待を背負い、一時はトップを走行していたウルフのジョディ・シェクターもエンジントラブルが原因でスピンしてリタイア、64周目にはチームデビュー2戦目ながらトップを快走していたアロウズのリカルド・パトレーゼまでもエンジントラブルでリタイアし、ピーターソンはティレルのパトリック・デパイエ、チームメイトのマリオ・アンドレッティ、そしてブラバムのジョン・ワトソンに続く4位にまでポジションを上げます。そして今度はワトソンがオイルに乗ってスピン、ピーターソンは労せずして3位に上昇するとレースも残り4周となった74周目にはエンジンからオイルが噴き始めたデパイエと、タイヤトラブルに苦しむアンドレッティの背後に急速に迫っていきます。そして75周目にガス欠により突然失速したアンドレッティをパスして2位に上昇します。しかしまだデパイエのテールは遠いと思われたファイナルラップ、ホームストレート直後のクローソン・コーナーで、デパイエは周回遅れとなっていたヘクター・レバーク(ロータス78/1を購入してプライベート参戦)の背後で、エンジントラブルが深刻化して失速を始めます。ピーターソンは瞬く間にレバークを抜けないデパイエの背後に迫りますが、デパイエは必死にピーターソンのホイールをヒットしながらラインを塞いで抵抗します。そのまま3台はもつれるようにしてコース奥のクラブハウス・コーナーに進入、ピーターソンは未だレバークを抜けずに立ち上がりで失速したデパイエのインにマシンをねじ込みます。そしてピーターソンは再度デパイエにホイールをヒットされながらも次のエセス・コーナーの進入でインをこじ開ける事に成功、そのまま最終コーナーを立ち上がってチェッカーを受け、波乱に満ちたドラマティックなレースを制しました。ピーターソンにとって、1976年イタリアGPでマーチを駆って優勝して以来1年半ぶりの優勝となったこの勝利は、「ピーターソンはもう終わった」とみなしていた周囲に対する見返しという、大きな意味を持った勝利となりました。
・フロントノーズのオイルクーラー上方にフィンを追加
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にリア側が頭)
<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成
【FILE 79. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.2-3.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti
参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのJPS17も、プラクティス時はほぼJPS16と同様の姿をしており、サイドスカートはスライディングスカートに変更されている他、ストレートの長い高速サーキットのキャラミに合わせてリアウィングのエレメントはローダウンフォースの物に変更され、フロントのオイルクーラーのフィンは外されています。また、コクピット開口部前方のロールフープも従来通りの形状です。そしてマーキングの特徴として、コクピットカウル開口部前方のJohn Player Specialの文字の上方に、矩形の小さなステッカーが貼付されている模様です。このステッカーのディティールはクローズアップした写真が無い為に不明ですが、白地に赤い枠が描かれており、その内側に何か文字かイラストが描かれている様に見えます。
キャラミでのアンドレッティはプラクティスでトラブルが相次ぎます。木曜にはJPS17のステアリングロッドが破損してスペアカーのJPS18に乗り換え、更にその後修復されたJPS17に乗り換えたものの、今度はまたしてもコスワースのスペシャルDFVのフューエルメータリングユニットにトラブルが発生してしまいます。更に金曜には事前の精力的なテストにも拘わらずグッドイヤーのスペシャルタイヤが南アフリカの暑さの下でグリップを発揮出来ずに苦しみます。しかし最終的には何とか、ニューマシンBT46をデビューさせたブラバムのニキ・ラウダにポールポジションを譲ったものの、予選2位という結果を得ました。
<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成
【FILE 80. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.4.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti
参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
アンドレッティのJPS17も、JPS16同様に土曜の決勝時にはコクピット開口部前方のロールフープが大型化されました。FILE.78のJPS16の項でも述べましたが、実際にどのタイミングでこのロールフープの加工がおこなわれたのかは明確には判りません。また長身で元々リア側のロールバーが高くなっているピーターソンの為であればその作業を行った理由も判らなくもありませんが、小柄なアンドレッティのマシンにも同じタイミングで変更が加えられているのにも疑問が残ります。また、これに伴いFILE.79で紹介したコクピットカウルのJohn Player Secialの文字上方に有ったステッカーは消え、その部分から大型化されたロールフープが顔を出しています。またピーターソンのJPS16は決勝時にフロントノーズのオイルクーラーのエアインテーク上方にフィンを追加していますが、アンドレッティのJPS17にはこのフィンは装備されていない模様です。
土曜日の決勝前、オフィシャルのミスからスターティンググリッドの位置をめぐって混乱が発生します。ポールポジションのラウダは本来ストレート先のクローソン・コーナーに対してイン側となる右側にポジションを取る筈でしたが、オフィシャルの手書きによるグリッドではポールが左側と指示されていました。結局最終的に左右を入れ替える形で左側のグリッドからスタートしたアンドレッティは、スタートでギアシフトに失敗したラウダをパスしてトップでクローソン・コーナーへ進入、そしてそのまま得意のスパートを見せて後続を大きく引き離します。しかし17周目を過ぎた辺りからアンドレッティの左フロントタイヤはイン側にブリスターが発生、21周目には地元観衆の声援を受けて走るシェクターにトップの座を明け渡します。その後もタイヤが苦しくなったアンドレッティはラウダ、パトレーゼ、デパイエにもパスされて5位に後退します。しかしFILE.78でも紹介した通り53周目にラウダが、そして60周目にシェクター、64周目にパトレーゼと彼の前を走るドライバーが次々に脱落した為、アンドレッティはデパイエに続く2位までポジションを回復します。そしてレースも残り5周となった74周目、デパイエのエンジンからオイルが噴き始めるとアンドレッティはデパイエとの差を縮め始めましたが、75周目にコース奥のクラブハウス・コーナーの立ち上がりで突然ガス欠により失速、すぐ背後まで迫っていたチームメイトのピーターソンにパスされて3位に後退します。アンドレッティは残り3周で給油の為ピットインを余儀なくされ、しかも既に燃料供給系に空気が入ってしまっていた為にエンジンのリスタートに手間取り、レースに戻った時には既に1周遅れの7位にまで後退しており、そのままチェッカーを受ける事になりました。アンドレッティのガス欠の原因は、ボスのコーリン・チャップマンがレース前、アンドレッティのタイヤへの負担を緩和する為の車重低減を目的として燃料を3ガロン抜く様にメカニックに指示した為とされています。チーム・ロータスのメカニックであったグレン・ウォータースは、「メカニックの間では、通常チャップマンから燃料を抜く様に指示された場合、誤差を考慮して1ガロンは多く残しておく”the mechanic’s gallon”と呼ばれる習慣があったが、今回はチャップマンが直接その作業を監督していた為、正確に3ガロンを抜かざるを得ず、この為にアンドレッティは勝てるレースを落としてしまった」と証言しています(但し1周が短いキャラミと言えど、1ガロンの燃料では残り3周を走り切れたかどうかは疑問)。
<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・コクピット前方のロールフープを大型化
<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成
ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。
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