おめでとう!アレックス・ザナルディ!


写真:2008年10月26日、岡山国際サーキットで行われたWTCCのピットにて筆者の応援メッセージにサムアップで応えるザナルディ。

2012年9月5日にブランズハッチ・サーキットにて行われたロンドン・パラリンピック自転車ロード男子個人H4タイムトライアル(8km×2LAPS=16km)にて、元ロータスF1ドライバーのアレックス・ザナルディ(本名:アレッサンドロ・ザナルディ)が12分11秒13のタイムで金メダルを獲得しました!

ザナルディは1993年、シーズン開幕前にマクラーレンへと移籍したミカ・ハッキネンの後任としてチーム・ロータスに加入して以来、クラッシュによる一時離脱を経て、チームの終焉となった1994年最終戦オーストラリアGPまで戦った、栄光のチーム・ロータス最後のドライバーでした。

その後1996年にアメリカCARTシリーズに転向、ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシングのレイナード・ホンダをドライブしてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得、更に1997・98年と2年連続でドライバーズ・タイトルを獲得し、不遇だったF1キャリアから一転、アメリカン・ドリームを手にします。1996年ラグナ・セカのコークスクリューでは掟破りのコース外からのオーバーテイク「The Pass」、1997年クリーブランドでは2度のペナルティで最後尾に下げられてからの全車ゴボウ抜き優勝、1998年ロングビーチではアクシデントに巻き込まれて曲がったフロントサスペンションで周回遅れからの逆転優勝、そして毎回優勝を決めた後に見せた派手なスピンターン「ドーナツ」等、アメリカン・レーシングの歴史に数々の名シーンを残しました。

しかしその後F1復帰から再度CARTに出戻った2001年9月15日にドイツ・ラウジッツリンクで行われたレースにて、トップを快走していたラスト13周、ピットでスプラッシュ&ダッシュを行ったそのピットロードでスピン、第一コーナーのコース上に飛び出した所でアレックス・タグリアーニとクラッシュ、マシンはコクピットから前方が完全に吹き飛ばされ、ザナルディは両脚が膝上まで粉砕、そして大量失血により生命の危機に瀕し、誰もが彼のキャリアは悲劇で終わった物と思いました。

しかしザナルディの本当の凄さはここからでした。両脚義足となりながらも常にポジティブにリハビリに取り組み続けたザナルディは、僅か1年半後の2003年5月11日、同じくラウジッツで行われたCARTシリーズのレース前に、「あの日、走れなかった13周」をデモランという形で、当時と同じカラーリングのCARTマシンでサーキットを疾走、同レースでの予選5位相当のタイムを叩き出してサーキットを興奮と感動の坩堝へと叩き込みました(ドイツまで見に行きました… 疾走するマシンと共にスタンドから湧き上がるウェーブ… 全身に鳥肌が立ち、視界が感涙に滲んだ… あの瞬間は忘れない…)。その後2005年からはBMWからWTCCにフル参戦、2009年迄に通算4勝を挙げ、レーシング・ドライバーのキャリアに(一旦)終止符を打ちました。

写真:2003年5月11日、ドイツ・ユーロスピードウェイ・ラウジッツリンクにて行われたCART第5戦GERMAN500のレース前、デモランでサーキットを疾走するアレックス・ザナルディのレイナード02I。この日の為にマシンには特別な改造が施され、そしてカラーリングは2年前に彼がドライブした時と同じ物に変更された。マシンが通過するスタンドからは観客からの凄まじいホーン音と歓声と共にウェーブが湧き上がり、サーキットは興奮と感動に包まれた。

その後本格的にハンドサイクリストへと転向、特にこの2012年ロンドン・パラリンピックを目標としている事を常に公言して来たザナルディ。そしてその目標をクリアしたばかりか、その結果が鮮やか過ぎるデビュー・ウィン!どんな試練や困難にでも打ち勝ち、そしてハッピーエンドのストーリーに変えてしまう本当に凄い男、早口の英語でジョークを連発し、いつも何か人を驚かせる事をしてやろうと企んでいる陽気なイタリアン、そして何より自分に生きる勇気を与えてくれる最強のヒーロー、アレックス・ザナルディ!本当におめでとう!

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