Lotus78 History & Markings – Vol.32 1978 Extra


今回はやや番外編的になりますが、1878年第7戦スペインGP以後、スペアカーとして使用されたロータス78のマーキングと、ヘクター・レバークに譲渡された78/4について取り上げます。前戦ベルギーGPで遂に1978年用のマシン、ロータス79をデビューさせ、マリオ・アンドレッティのドライブでデビュー・ウィンを飾ったチーム・ロータスでしたが、次戦スペインGP迄の間にフランスのポール・リカールへと飛び、マリオ・アンドレッティがロータス79のニューシャシー、JPS21(79/3)のシェイクダウンを行います。そしてスペインGPからはJPS21がアンドレッティ用のレースカー、ベルギーでアンドレッティがドライブしたJPS20(79/2)はピーターソンのレースカーとして使用される事になります。しかし79はその傑出したポテンシャルとは別に全体的にテストが不足していて信頼性に不安があった為か、チーム・ロータスはスペインGPから第9戦フランスGPまではJPS16、JPS17共にスペアカーとしてサーキットに持ち込み、4台体制を敷いていました。更に続くイギリスGPではチームの地元と言う事で輸送の負担が小さかった為かJPS19(79/1)もアンドレッティ用のスペアカーとして持ち込まれており、何と5台体制でレースウィークに臨んでいました。その後もJPS19がアンドレッティ用、そしてJPS16またはJPS17がピーターソン用のスペアカーとして第14戦イタリアGPまで用いられていました。

写真:ホッケンハイムで開催された1978年西ドイツGP決勝(LAP24/45)、スタジアムセクションへ向かう第2シケイン(現在のヘアピンコーナー付近)でスピンしたヘクター・レバークの78/4。アロウズのリカルド・パトレーゼとのバトル中、スリップストリームから抜け出してサイド・バイ・サイドでシケインへ進入したレバークだったが、当時はラフファイトで悪名高かったパトレーゼに幅寄せされ、ダートへマシンを落としてしまった結果のスピンだった。レバークはこのスピンでエンジンをストールして大きくタイムロスしたものの、サバイバルレースを粘り強く最後まで走り切って6位入賞を手にする。レバークにとってこれがF1キャリア初のポイント獲得となった。(ZDF


【FILE 91. 1978 Rd.7 SPANISH GP – Rd.9 FRENCH GP 1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初に紹介するのはロニー・ピーターソンのスペアカーJPS16。これは第9戦フランスGPのパドックにおいての姿ですが、第7戦スペインGPよりこのマーキングに変更されました。最大の特徴はスペインGPよりチーム・ロータスのスポンサーとして新たに参画したオリンパス・カメラのロゴがサイドウィングのプレートに大書され、そしてJohn Player Specialの文字とユニオンジャックがモノコックサイドへと移動した事です。そしてこれに伴い、これまでモノコックサイドに記入されていたValvolineとポーラー・キャラバンズのホッキョクグマがインダクションボックス基部へ、NGKのロゴがインダクションボックス後方に移動し、インダクションボックス基部に記入されていたKONIのロゴが消えています。写真で見る限りですが、これまでポーラー・キャラバンズのホッキョクグマは金箔と思われるステッカーで貼付されていましたが、JPSカラーによるペイントに変更された物と思われます。これらロゴのレイアウトはロータス79のそれにほぼ準じた物となっています。マシンのデザイン上John Player Specialの文字の一部がモノコックサイドを渡るJPSストライプと被っていますが、左サイドのユニオンジャック後方から、「J」の文字にかけてのJPSストライプが途切れているのが注意点です。また、コクピットカウル前部にもオリンパスのロゴが追加されています。フロントノーズ及びリアウィングのロゴのレイアウトはベルギーGP以前と同様になっていますが、注意点はリアウィングのウィニング・ローレルが、ベルギーGP、スペインGPでの優勝(2戦連続1-2フィニッシュ)が反映されておらず、アルゼンチンGPと南アフリカGPの2つのみのままになっている事です。その他、ロールバー左側にスペインGPの車検合格証であるハラマ・サーキットのレイアウトが描かれた黄色のステッカーが巻かれている他、右サイドのユニオンジャック前方にスウェーデンGPの車検合格証ステッカーが貼付されています。
尚、スペインGPからフランスGPまでの間、スウェーデンGPのプラクティスでピーターソンがこのマシンをドライブした写真が存在していますが、それ以外は登場の機会無かったものと思われます。


<改訂履歴>
・v1.0(2013/1/30) 新規作成


【FILE 92. 1978 Rd.7 SPANISH GP – Rd.9 FRENCH GP】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのスペアカーJPS17も、基本的なマーキングの仕様はJPS16と同様です。しかしJPS16との相違点として、ピーターソンのパーソナルスポンサーであるポーラー・キャラバンズのロゴが無いのは当然ですが、インダクションボックス基部に記入されたValvolineのロゴに、小さく「MOTOR OIL」の文字が追加されている点です。これはスペインGPからフランスGPまでの間、79にも同じく記入されてた物でしたが、79ではフランスGP以外フロントウィングにも記入されているのに対し、この78ではインダクションボックスのみに記入されているのが注意点です。また、JPS16では左サイドのユニオンジャック後方から、「J」の文字にかけてのJPSストライプが途切れた状態ですが、JPS17ではストライプが完全に記入された状態になっています。その他、ロールバー左側のスペインGPの車検合格証はJPS16同様ですが、その位置がJPS16よりもやや上方になっています。また、JPS16に見られたスウェーデンGPの車検合格証は写真では見られません。
アンドレッティはこのマシンをドライブする機会は無かったものと思われます。


<改訂履歴>
・v1.0(2013/1/30) 新規作成


【FILE 93. 1978 Rd.10 BRITISH GP – July.14.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
ベルギーGP以後、チーム・ロータスにおいて78が登場したのは第10戦イギリスGPの金曜の事で、午前のセッションで圧倒的な速さを見せたロニー・ピーターソンのレースカーJPS20のオイルタンクにトラブルが発生した際の事でした。但しこれには諸説があり、その一部はピーターソンがエースのアンドレッティよりも好調であった為、ボスのコーリン・チャップマンがピーターソンにこれ以上のタイムが出せない様にする為、ピーターソンからレースカーを一時的に取り上げたとするものもあります。同様にギアボックスのテストをさせたとの説もありますが、既にゲトラグ製ギアボックスの開発は中止されており、その後もゲトラグの開発及びテストが行われたとする文献も見つからない事、そして何よりイギリスGPのピットで撮影されたと思われるJPS16の写真にはヒューランド製ギアボックスが装着されていた事も確認出来ており、これにも疑問が残ります。いずれにせよJPS16を再び走らせる事となったピーターソンですが、注目すべきはタバコ広告禁止のイギリスでありながら、John Player Specialの文字とロゴが残されたままになっている点です。但し金曜の場合、TV中継が無い為かそれ程厳しくは見られていなかったものと思われます。マーキングはFILE.91に示したものとほぼ同様で、スペインGPやスウェーデンGPの車検合格証もそのまま残されています。リアウィングはコーナーが多いブランズハッチに合わせて、ベルギーGPで用いられたものとほぼ同仕様の物に変更されていますが、引き続きウィニング・ローレルの追加は無かった様です。
尚、同GPでのJPS16は次のFILE.94に紹介するタバコ広告禁止仕様もあり、ここで紹介したマーキングは午前中の物であったと想像されます。


<改訂履歴>
・v1.0(2013/1/30) 新規作成


【FILE 94. 1978 Rd.10 BRITISH GP – July.14.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらはイギリスGP金曜午後の状態であったものと思われ、タバコ広告禁止のイギリスに合わせて、John Player Specialの文字とロゴが消されています。しかしFILE.93で紹介した通り、これらのマーキングが存在する写真も確認出来る事から、FILE.93は午前の状態で、午後のセッション迄の間にJohn Player Specialの文字とロゴが消されてこの状態になった物と思います。
イギリスGPでのJPS16の走行は金曜のみで、土曜日以後はレースカーであるJPS20で走行しています。


<改訂履歴>
・v1.0(2013/1/30) 新規作成


【FILE 95. 1978 Rd.11 GERMAN GP 1978 – July.30.1978】 v1.0
78/4 Driver: Hector Rebaque


参考資料:
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
ここで、この1978年シーズンにメキシコ人ドライバーであるヘクター・レバークに譲渡された78について一点だけ紹介します。レバークにはシーズン開幕前に78/1が、その後モナコGP前に78/4が譲渡されています。紹介するのはレバークが78で唯一の入賞を果たした第11戦西ドイツGP決勝での78/4の姿で、一見して判る通り、チーム・ロータスのJPSストライプを一部取り入れながらも独自のカラーリングとなっています。全体のカラーは、イラストでは茶色で表現していますが実際にはやや黒に近いもっと深い茶色で、そこにJPSカラーと同色と思われる色でストライプ、カーナンバー、ドライバー名等を記入しています。尚、同じ西ドイツGPの写真でインダクションボックス基部にHEUERのロゴが貼付されているものが確認出来ますが、決勝ではこのロゴが見当たらない事から、ロゴが外されたか、またはスペアカーである78/1の可能性もあります。またマシン上の最大の特徴としてリアウィングの仕様が大きく変更されており、チーム・ロータスで使用されていた2枚のアルミ板によるセンターマウント方式から、丁度当時のウルフWRシリーズに酷似した、ギアボックス後方に水平にマウントされた太いパイプで両翼端板下部を固定し、ウィング本体は翼端板のみで支持するタイプに変更されています。これが功を奏したのか、前年は超高速サーキットであるホッケンハイムでストレートスピードの不足に苦しんだチーム・ロータスでしたが、このGPでのレバークはストレートスピードが非常に伸びており、シーズンこれまでのレースで予備予選落ち3回、予選落ち2回と散々な成績だったレバークは予選18位を獲得しています。決勝でもレバークはスタートから中位集団のバトルに食い下がって健闘を見せ、24周目にはスピンを喫して大きく後退したものの、最後まで粘り強く走り続けたレバークは結局このレースを制したアンドレッティから1分37秒遅れながら同一周回(当時のホッケンハイムは1周が7キロ近くあり、1周2分近く掛かった)で完走、堂々の6位入賞を果たし、キャリア初のポイントを獲得しました。
※Bruce Grant-Braham著、「Lotus – A Formula One Team History」では、レバークに譲渡されたマシンを「78R」と表記していますが、実際にこの呼称が正式に用いられたのかどうかは不明です。


<改訂履歴>
・v1.0(2013/1/30) 新規作成


【FILE 96. 1978 Rd.12 AUSTRIAN GP】 v1.0
78/2(JPS16) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最後に紹介するのは、第12戦オーストリアGPにピーターソンのスペアカーとして持ち込まれたJPS16。これまでスペアカーであるJPS16及びJPS17にはリアウィングのウィニング・ローレルは追加されず、アルゼンチンGPと南アフリカGPでの優勝を示した2つのみとなっていましたが、このオーストリアGPではレースカーであるJPS20及びJPS21と同じデザイン・レイアウトに変更され、その後のベルギーGP、スペインGP、フランスGP、西ドイツGPまでの優勝分6個が反映されており、更に1-2フィニッシュとなったベルギーGP、スペインGP、フランスGPの2位も追加されて合計9個のウィニング・ローレルが誇らしげに記入されています。更にローレルのデザイン自体もそれまでの物とは異なっており、最上段n「1st(または2nd)」、中段に「1978」、下段にレース名が記入された物に変更されました。この他インダクションボックスは、FILE.91で紹介したポーラー・キャラバンズのロゴ入りの物から、FILE.92で紹介したValvolineロゴ上に「MOTOR OIL」の文字入りの物に変更されています。更にコクピット両脇のドライバー名、ロールバーにあったスペインGPの車検合格証、右サイドユニオンジャック前方のスウェーデンGP車検合格証は消えています。そしてフロントノーズのオイルクーラーのエアインテークには南ブラジルGPや南アフリカGP等で用いられたフィンが装備されています。
第11戦西ドイツGP、第12戦オーストリアGPでピーターソンのスペアカーとして用いられたJPS16ですが、結局使用される事は無く、次のオランダGPではJPS17がピーターソンのスペアカーとなり、JPS16はこのオーストリアGPを最後にチーム・ロータスにおける全ての役割を終える事になりました。


<改訂履歴>
・v1.0(2013/1/30) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.31 1978 Rd.6 Belgian GP


今回は遂にチーム・ロータスにおけるロータス78の実質的なファイナルレースとなった1978年第6戦ベルギーGP(5月21日決勝)でのロータス78について紹介します。開催地であるゾルダー・サーキットはベルギー東部、オランダ国境に近い森林地帯に設けられたサーキットで、1975年にそれまでのスパ-フランコルシャン(当時1周14.12km)からベルギーGP開催を引き継ぎ、1982年にフェラーリのジル・ヴィルヌーヴが予選中のアクシデントで事故死した場所として人々に記憶される事になった後、1984年までF1が開催されていました。翌1985年にベルギーGPはコースがほぼ現在の状態に近いレイアウトに短縮されたスパへと戻り、現在に至っていますが、ゾルダーは第一コーナーのレイアウト変更やシケイン増設などの一部改修を受けながらも比較的当時のレイアウトを残したまま、現在はFIA-GT等のレースが開催されています。
5月7日に行われたモナコGPの後、チームはスウェーデンGPの開催地であるアンダーストープへと飛び、ロニー・ピーターソンがヒューランド製ギアボックスを搭載したロータス79(JPS20)の本格的なテストを行い、他車より2秒速いラップを記録します。エースのマリオ・アンドレッティはインディ500のプラクティスに参加する為にこのテストは不参加となりましたが、連日の雨に見舞われて走行が出来なかったアンドレッティは毎日インディアナポリスから電話を掛け、チーフエンジニアのナイジェル・ベネット等にテストの経過を聞いていました。当初ボスのコーリン・チャップマンは、テストで判明した問題(モナコからリアサスペンションのクロスメンバーが変更されている事から、この部分と思われる)や信頼性への不安からベルギーでのJPS20の投入は見送る意向でおり、JPS20はアンダーストープからそのままゾルダーへと送られ、チームはアンドレッティのレースカーとして従来通りJPS17を準備していました。しかしゾルダーに来てピーターソンからインプレッションを聞いたアンドレッティはJPS20での出走を強く主張、チャップマンやチーフメカニックのボブ・ダンス等を押し切り、急遽クロスメンバーの改修等を行ってJPS20の実戦投入を強行します。この為PS17はアンドレッティのスペアカーとなり、一方のピーターソンは従来通りJPS16でレースウィークへと臨む事になりました。

写真:1978年ベルギーGP決勝(LAP67/70)、56周目のタイヤ交換による後退から猛追を見せ、レース残り4周となったバックストレート手前の高速コーナーで2位を走るカルロス・ロイテマンのフェラーリ312T3を捉えたロニー・ピーターソンのJPS16。ピーターソンは直後にバックストレートエンドのシケイン入口でロイテマンをパス、JPS20を駆って独走で優勝を飾ったマリオ・アンドレッティに続く2位でフィニッシュした。チーム・ロータスにとって1973年イタリアGP(コーリン・チャップマンがチームオーダーを発令せず、結果ピーターソンがチームメイトであるエマーソン・フィッティパルディの逆転タイトルの可能性を奪った事で物議を醸した)以来約4年半振りの1-2フィニッシュとなった。(ZDF


【FILE 90. 1978 Rd.6 BELGIAN GP – May.19 – 21 1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
このレースをもって最後の登場となったロニー・ピーターソンのレースカーJPS16。基本的に前戦のモナコと同仕様で、興味深いのはモナコよりも高速でありながらも、ストレートが短く右コーナーが多いゾルダーのレイアウトに対応する為、ほぼモナコの物に近い、かなりダウンフォースの強いリアウィングを装備している点で、メインエレメントとフラップの間がテープ状の素材で埋められている点、JPSストライプが途中で切れているのも同様です。この他ポーラー・キャラバンのホッキョクグマの位置・向きも変更ありません。またこのレースではピーターソンはニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVを使用していますが、そのロゴの位置はモナコでのカムカバー後下方から前上方に移動しており、走行中の写真からも判別可能な状態になっています。
ゾルダーでは金曜のプラクティスから、アンドレッティのJPS20が終始他を1秒以上引き離す圧倒的速さを見せ付けて週末の話題を独占し、前年に続いて他の全ドライバーを戦意喪失に追い込みます。一方でピーターソンは特にトラブルも無く走行を重ね、金曜午前から土曜に至るまで全てのセッションを7位で終え、決勝は7位スタートとなりました。決勝のスタートではアンドレッティと並ぶ2位からスタートしたフェラーリのカルロス・ロイテマンが前戦モナコに続いてスタートに失敗、2速の加速で失速した事から2列目以降は大混乱となります。3位スタートのブラバムのニキ・ラウダはグリーンにマシンの左半分を逃がしながら混乱をすり抜けた5位スタートのウルフのジョディ・シェクターのリアに追突、ガードレールにクラッシュした他、ピーターソンの前後からスタートしたマクラーレンのジェームス・ハントとアロウズのリカルド・パトレーゼが接触、ハントもガードレールにクラッシュしてしまいます。この混乱から辛くも逃れたピーターソンは、1周目終了時で既に他を引き離しに掛かったアンドレッティ、4位スタートだったフェラーリのジル・ヴィルヌーヴ、ラウダに追突されながらも事無きを得たシェクターに続く4位に付けました。そして9周目にシェクターがエンジンのミスファイアでピットイン、ピーターソンは3位に順位を上げ、後ろにパトレーゼを従えて走行します。しかしそのパトレーゼは31周目にサスペンショントラブルでリタイア、そして40周目に2位を走っていたヴィルヌーヴの左フロントに装着されていたミシュランタイヤがホームストレートでバースト、ピーターソンはアンドレッティに大きく離されながらも2位に浮上し、これで新旧ロータスの1-2体制となりました。しかしピーターソンも右コーナーが多くタイヤに厳しいゾルダーで左フロントタイヤがブロー寸前となっていた為に56周目にピットイン、両フロントのタイヤを交換します。チーム・ロータスのピットワークは素晴らしく、20秒でピットアウトしたピーターソンはスタートの出遅れをリカバーしたロイテマンとリジェのジャック・ラフィーに先行されたものの、フレッシュなフロントタイヤで猛チャージを開始します。一方逃げるラフィー、ロイテマンは共に既に左フロントタイヤが限界に達しておりペースが上げられない状況で、最速ラップを連発して急追するピーターソンの敵ではなく、残り7周でラフィーを、残り4周でロイテマンをパスしたピーターソンは2位に復帰、終始余裕の走行を見せたアンドレッティの9秒後方でチェッカーを受けました。チーム・ロータスにとって1973年イタリアGP以来の1-2フィニッシュとなり、初日である金曜日に50歳となったコーリン・チャップマンにとっては最高の週末となると共に、この後展開される1978年シーズンの快進撃の幕開けを告げるものとなりました。
アンドレッティはレース後に行われたチームの祝勝会で、この1-2を前年のベルギーGP優勝者であるグンナー・ニルソンに捧げると述べ、チーム全員で祝杯に替えてニルソンの回復に祈りを捧げました。アンドレッティにとっては2年間を共に過ごしたチームメイトであり、ピーターソンにとってはスウェーデン出身で同郷の後輩であるニルソンの精巣癌はこの頃既に悪化の一途を辿っており、レース復帰はほぼ不可能と伝えられていました。
1977年開幕戦アルゼンチンGPで登場(初日にして消火器の爆発事故によっていきなり大破し、決勝は不出走)して以来1年半近くに及んで戦い続けて来たJPS16にとって、この週末が最後のレースとなりました。前年のベルギーGPでニルソンが勝利を挙げた他、この年のブラジルGPでポールポジションを獲得、そして続く南アフリカGPでの劇的な1勝を加えたJPS16にとって、今回の1-2達成と最速ラップはまさに有終の美を飾るものでした。以後JPS16はJPS17同様にスペアカーとなり、現場を退く事になります。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名右側に記入(左はフロント側、右はリア側が頭)
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー前上方に記入


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/31) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –