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Lotus78 History & Markings – Vol.30 1978 Rd.5 Monaco GP


今回は1978年5月7日に決勝が行われた第5戦モナコGPでのロータス78について紹介します。シーズン開幕からおよそ4カ月が過ぎたこのモナコで、チーム・ロータスは遂に1978年用マシンであるロータス79(79/2=JPS20)をパドックに持ち込んでマリオ・アンドレッティのスペアカーとして登録しました。アンドレッティは木曜午後のプラクティスで数周の走行を行ってマシンのフィーリングを確認しましたが、2日目となる土曜日以後は結局JPS17で走行しています。しかし如何に前年最速マシンの呼び声高かった78と言えど、既にシーズンも中盤に差し掛かろうとしていたこの時期に及んでは、既にニューマシンの熟成を進めつつあるフェラーリのカルロス・ロイテマンやブラバムのニキ・ラウダといった強敵相手にチャンピオンシップでトップを争うには絶対的な戦闘力低下は否めず、79の早期投入が待ち望まれる状態になっていました。

写真:1978年モナコGP決勝(LAP15/75)、トップを争う3台から大きく遅れた4位争いをリードし、エルミタージュの坂を駆け上がるマリオ・アンドレッティのJPS17。すぐ背後で追うジョディ・シェクターのウルフWR1に続き、6位を走行するロニー・ピーターソンのJPS16の姿も見えるが、更に写真では見えないものの更にその後にはフェラーリのジル・ヴィルヌーヴが続く。何れ劣らぬ実力者3人を若獅子が追うという見応えのある白熱したバトルだったが、結局シェクターのみが最後まで生き残って3位を手にしたものの、アンドレッティはトラブルで後退、ピーターソンとヴィルヌーヴはレースをフィニッシュ出来なかった。(ZDF


【FILE 86. 1978 Rd.5 MONACO GP – May.4-7 1978】 v1.1
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初に紹介するのはロニー・ピーターソンのレースカーJPS16の木曜日時点と思われる状態です。前戦USGPウェストではストリート・サーキットのロングビーチでありながら比較的ダウンフォースの少なめのリアウィングを装備していましたが、このモナコでは以前より低速サーキットで用いられた、後縁がほぼ直立に近い大型の追加フラップを装備したマキシマム・ダウンフォースの物が用いられています。また、そのフラップとメインエレメントの間には黒のテープと思しき素材で隙間を埋めている様に見え、JPSストライプはJohn Player Specialの文字の手前で切れています。そして毎回変遷を続けるポーラー・キャラバンのホッキョクグマですが、今回は前回のUSGPウェストと同様にドライバー名右側、そして頭の向きも同じく左サイドがフロント向き、右サイドはリア向きになっています。
モナコを得意とし、1974年には優勝も経験しているピーターソンでしたが、初日である木曜日午前は4番手と好調だったものの、セッション終了直前にマシンをバリアにヒットさせてしまった為に午後はノータイムとなり、7位に終わりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名右側に記入(左はフロント側、右はリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v1.1(2013/1/1) 土曜日以後の状態に関する記述をFILE.87に分離(Thanks to A BOOKSHELFさん)


【FILE 87. 1978 Rd.5 MONACO GP – May.4-7 1978】 v2.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらはJPSJPS16の土曜日以後と思われる状態で、決勝もこの状態で走行しています。注意点は木曜日午前のプラクティスでダメージを受けたフロント周りを修復した形跡が有る点で、その最大の特徴としてフロントノーズは恐らくアンドレッティ用のフロントノーズを利用して、フロントノーズのカーナンバー6は5の上からステッカーで貼り付けたと思われる形跡があります。具体的には「6」左上部分には角張りが見られ、更にカギ部分には「5」上部の水平な線が、そして「5」の下部カギ部分にそって2本の線が入っているのが確認出来ます。その他そのノーズ部分に繋がるコクピットカウル両脇のJPSストライプは途中で途切れているのも相違点です。尚、このレースでピーターソンが使用したエンジンは確認出来る写真が無い為に不明で、モナコのパドックにおける写真では先に触れたスペアカーのJPS20にはコスワースのスペシャルDFVが、そしてアンドレッティのJPS17にはニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVが搭載されていた事が確認出来ており、ピーターソンはこのモナコではノーマル仕様のDFVを使用した可能性があります。もっともコスワース・スペシャルやニコルソンは共に高回転を指向したチューニングの為にパワー特性がピーキーであったものと思われ、低速でトップスピードの低いモナコではノーマル仕様のDFVでもそれ程のハンディは無かったものと思われます。
木曜日のプラクティスでクラッシュしたピーターソンのJPS16は土曜日には修復され、気温が上がってコンディションが厳しくなった中でタイムアップを果たしたものの、順位は変わらず7位スタートとなりました。日曜のレースではスタート直後の第一コーナーでポールスタートだったフェラーリのカルロス・ロイテマンとマクラーレンのジェームス・ハントのアクシデントを回避したものの、後方からスタートしたウィリアムズのアラン・ジョーンズとウルフのジョディ・シェクターにパスされた為、順位は変わらず7位で序盤を走行します。前車に行く手を阻まれてペースが上がらない上に、すぐ前を走っていたジョーンズがマシンのテールから白煙が上がり始めたにも拘わらずそのまま数周にも渡って走行を続けた為、ピーターソンはそのオイルをまともに受けながらの走行を強いられます。13周目にようやくジョーンズが脱落して6位、44周目にチームメイトのマリオ・アンドレッティがトラブルによりピットインした為に5位に順位を上げましたが、56周目にギアボックスのトラブルによりリタイアとなってしまいました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ(5の上から貼り付けた形跡あり)
・コクピットカウル周りのJPSストライプ無し
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名右側に記入(左はフロント側、右はリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v1.1(2013/1/1) 土曜日以後の状態に関する記述をFILE.86から分離(Thanks to A BOOKSHELFさん)


【FILE 88. 1978 Rd.4 MONACO GP – May.4-6 1978】 v2.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのJPS17も基本的にはJPS16と同様の仕様で、リアウィングにはマキシマム・ダウンフォースになる大型の追加フラップを装備しています。その他のマーキングも基本的にはJPS16と同仕様です。またFILE.86でも述べた通り、モナコのパドックにおける写真ではJPS17にニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVを搭載されているのが確認出来ますが、しかし従来とは異なり今回はニコルソンのロゴがカムカバーの後下方に貼付されている為、走行時はサイドウィングのアップスイープに隠れる形となり外見からは確認出来ません。従ってレースウィークを通じてアンドレッティがニコルソンを使用したかどうかは確証がありませんが、一応ここではニコルソンを使用したとしておきます。
アンドレッティは木曜午前のプラクティスを特に大きなトラブル無く消化し、ポイントリーダーで並ぶフェラーリのカルロス・ロイテマンに続く2番手に着け、そして午後にはついにロータス79(JPS20)で走行を開始します。このJPS20は去る3月にシルバーストーンで行われた行われたノンタイトル戦、インターナショナル・トロフィーでのレースにおけるクラッシュによるフロント周りのダメージの修復と、そしてこのシーズンに投入する筈だったロータス/ゲトラグ製ギアボックスの開発中止に伴い、ヒューランド製ギアボックスとそれに合わせた新設計のリアサスペンションを装備していました。アンドレッティはJPS20のフィーリングを確認しながら数周の走行を行いました(Hamlyn Publishing刊「Mario Andretti – World Champion」によれば、アンドレッティは数周走っただけでゲトラグ製ギアボックスに装着されていたリアサスペンションよりもハンドリングに好感触を得た様です)が、リスクの高いモナコではこれ以上の走行は見送り、以後はJPS17での走行へと切り替え、結局ブラバムのニキ・ラウダに抜かれるものの初日は3番手で終えてまずまずのスタートを切ります。しかし土曜日にタイムを伸ばす事が出来ず、この日ジャンプアップを果たしたブラバムのジョン・ワトソンにも抜かれて決勝はラウダと並ぶ2列目4位からのスタートとなりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー後下方に記入(サイドウィングのアップスイープにより外見からは判別不可)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v2.0(2013/1/1) FILE.86の記述追加に伴い改番


【FILE 89. 1978 Rd.4 MONACO GP – May.7 1978】 v2.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年7月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
日曜の決勝時、アンドレッティのJPS17には、フロントノーズのカーナンバー5の下に、前年のロングビーチで記入されたのと同様の赤いストライプが入りました。この時にも述べましたが、ピーターソンのマシンとの識別性を高めるのが目的と考えられますが、何故この2レースだけこの様な方法が取られたのか、その理由は不明です。
アンドレッティは決勝を4位からスタートし、スタートでホイールスピンを起こしたロイテマンを抜いたものの、第1コーナーのサン・デボーテを6位スタートから絶妙なコース取りですり抜けたティレルのパトリック・デパイエに抜かれた為に順位は変わらず4番手で序盤を走行する事になります。しかしレース直前にグッドイヤーのエンジニアがよりソフトなコンパウンドのタイヤに変更した事が災いしてマシンバランスが崩れ、アンドレッティはトップ3台のバトルについて行く事が出来ず、たちまち大きく引き離されて行き、背後にウルフのジョディ・シェクター、ウィリアムズのアラン・ジョーンズ、チームメイトのロニー・ピーターソン、そしてフェラーリのジル・ヴィルヌーヴの4台従えてのバトルを展開する事になります。しかし44周目のトンネルを走行中にアンドレッティのマシンは燃料パイプが裂けて燃料がコクピット内に噴き出すトラブルが発生、アンドレッティは視界を奪われながらも何とか危機を脱してピットまで辿り着きますが、しかしピットでの作業では処置に限界があり、都合3回のピットインを繰り返したアンドレッティは6周遅れの11位に終わりました。
1977年第4戦USGPウェストでデビューウィンを飾って以来長きに渡りアンドレッティと共に戦い、優勝5回、ポールポジション8回を記録して最速マシンと称されたJPS17でしたが、次戦ベルギーGPからは遂にJPS20がレースに本格投入される事になり、以後JPS17はアンドレッティ用(イギリスGP以後はピーターソン用)のスペアカーとして使用される事になります。そして9月10日に行われた第14戦イタリアGPのウォームアップでJPS20をクラッシュさせたピーターソンがレースで使用し、そこで悲劇に見舞われる事になります。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントノーズのカーナンバー5の下に赤ストライプ追加。
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングのJPSストライプが途中で切れている
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー後下方に記入(サイドウィングのアップスイープにより外見からは判別不可)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/12/29) 新規作成
・v2.0(2013/1/1) FILE.86の記述追加に伴い改番


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.29 1978 Rd.4 U.S.GP West


今回は1978年4月2日に決勝が行われた第4戦USGPウェストでのロータス78について紹介します。レイアウトは変更されているものの現在でも毎年インディーカー・シリーズのレースが開催されているカリフォルニア州ロングビーチ市街地サーキットは、さしずめヨーロッパのモナコに対抗すべく、ハーバーには超豪華客船クイーン・メリー号が停泊し、そして空から照りつけるカリフォルニアの太陽が風光明媚な空気を醸し出していました。しかしサーキットは対照的にアメリカのストリートコースらしくバンピーな路面、ランオフエリアの無いコンクリートウォール、ツイスティなブラインドコーナーとタイトなヘアピン、そして最高速度270km/hに達する長いストレートを持つ過酷な物した。前年の同GPでマリオ・アンドレッティのドライブによりグラウンドエフェクトカーによる初勝利を挙げたロータス78にとって、トラクションの良さが活きるストップ&ゴータイプのストリートコース、そして何よりドライバーのアンドレッティ、DFVエンジンにその名を冠するフォード、そしてタイヤを供給するグッドイヤーの3者にとっての地元であるアメリカでのレースは必勝レースと位置付けられましたが、しかしその結果は厳しいものとなりました。

写真:1978年USGPウェスト決勝(LAP74/80)、トップを走行するフェラーリのカルロス・ロイテマンに14秒もの大差を付けられ、2位を単独走行するマリオ・アンドレッティのJPS17。何れも地元アメリカのレースという事で必勝を期したアンドレッティ/フォード/グッドイヤーのパッケージだったが、対抗するフェラーリ/ミシュラン陣営に終始全く刃が立たず、結果こそ2位を得たものの内容的には完敗を喫したレースだった。(ZDF


【FILE 83. 1978 Rd.4 U.S.GP WEST – Mar.31-Apr.2 1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年6月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
いつも通り最初に紹介するのは、ロニー・ピーターソンのレースカーJPS16。前戦南アフリカGPのキャラミ、及びインターナショナル・トロフィーのシルバーストーンと高速サーキットでのレースが続きましたが、今回は低速ストリート・サーキットのロングビーチでの開催と言う事で、リアウィングに追加フラップが装備されています。しかし前年の同GPと比較してそのフラップの面積、仰角共に格段に小さくなっており、この1年の間のサイドスカートの進歩によりグラウンドエフェクトによるダウンフォースが格段に大きくなった事を物語っています。またFILE.84で後述しますが、同GP中の写真でアンドレッティのJPS17及びスペアカーのJPS18にウィニング・ローレルが描かれているのが確認出来ます。ピーターソンのマシンはその有無が確認出来る写真が無い為に不明ですが、一応記入された状態としておきます。この他のマーキング上の特徴として、ポーラー・キャラバンのホッキョクグマのロゴは左右両サイド共にドライバー名の右側に移動し、頭は左サイドがフロント向き、右サイドはリア向きとなっており、更に右サイドのキルスイッチ位置現示マークが復活していますが、デザインは三角形内部に書かれている稲妻の白縁が無くなっています。両ラジエーターアウトレットのフィンは装備されていますが、フロントノーズのオイルクーラーのエアインテークにはフィンは装備されていません。またこのレースでもピーターソンはニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVを使用していますが、以後のレースでは(ロータス79投入後も)ピーターソンは基本的にニコルソンを使用する事が多くなった模様です。
1978年のシーズン開幕以来ここまでのレースで、ピーターソンはプラクティスにてロータス/ゲトラグ製のギアボックスを装着してセッションに臨んでいましたが、前回のシルバーストーンでのレースを最後にチーム・ロータスは一旦このギアボックスのデベロップメントを中断する事を決定します。この為ピーターソンは初日からヒューランド製ギアボックスでレースウィークに臨みましたが、このロングビーチでは終始不調に苦しみます。まずは初日にエンジンがブロー、さらにその後はグッドイヤーがロータス、マクラーレン、ブラバムの3チームにのみ供給したスペシャルタイヤとのマッチングが悪くハンドリング不調に苦しみ、結局ピーターソンはポールポジションを獲得したフェラーリのカルロス・ロイテマンからコンマ8秒遅れの予選6位に終わりました。レースでもピーターソンは精彩を欠き、スタートでウィリアムズのアラン・ジョーンズとマクラーレンのジェームス・ハントにパスされて1周目で8位に後退します。その後6周目にハントが最終コーナーでウォールにヒット、10周目には2位を走行していたブラバムのジョン・ワトソンがギアボックスのトラブルでリタイアした為に6位にまで順位を戻しますが、しかし依然としてタイヤのグリップ不足に悩まされたピーターソンは28周目にピットイン、タイヤ交換を余儀なくされます。しかし同じ周に2位を走行していたブラバムのニキ・ラウダが、38周目にトップを快走していたフェラーリのジル・ヴィルヌーヴが脱落、そして終盤には激しくロイテマンをプッシュしていたジョーンズがトラブルで後退した事にも助けられたものの、予選12位から追い上げを見せたティレルのパトリック・デパイエにパスされたピーターソンは、終始見せ場の無かったレースを結局4位でフィニッシュする事になりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(推定:アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名右側に記入(左はフロント側、右はリア側が頭)
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー後上方に記入


<改訂履歴>
・v1.0(2012/11/14) 新規作成


【FILE 84. 1978 Rd.4 U.S.GP WEST – Mar.31-Apr.2 1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年6月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのJPS17も基本的にはJPS16と同様の仕様で、前戦南アフリカGPからの相違点はリアウィングが中心になっており、追加フラップによりリアウィングが増積されています。尚、1978年シーズンに入ってここまでリアウィングのウィニング・ローレルは記入されていませんでしたが、このロングビーチではこの年の開幕戦アルゼンチンGP、そして第3戦南アフリカGPでの優勝を示すウィニング・ローレルが新たに記入されました。デザインは基本的に前年と同一で、円状にあしらわれた月桂樹の内部に、上段に「Winner」、中段に「1978 GrendPrix」、下段にGP名が記入されています。このデザインの詳細はまた機会を改めて紹する予定ですが、後にロータス79に記入される物とはデザインが異なっているのが注意点です。また、アンドレッティはこのレースでもコスワースのスペシャルDFVを使用しており、次第にニコルソンを使用するピーターソンとの棲み分けがされる様になって行きます。
冒頭に述べた通り、前年のロングビーチの覇者であり、かつ現在ポイントリーダー、そして何より母国レースとなるアンドレッティは優勝争いの最有力候補と見られていましたが、期待とは裏腹にレースウィークを通じて不調に苦しむ事になります。主な原因となったのは皮肉にもアンドレッティ同様に地元優勝に意気込むグッドイヤーがロータス、ブラバム、マクラーレンにのみ供給したスペシャルタイヤとのマッチングで、アンドッティは終始リアのグリップ不足に苦しみ、リアタイヤを削って発熱を改善させる等の苦労を強いられました。更にエンジンブローにも見舞われてスペアカーのJPS18に乗り換えるなど終始精彩を欠いたアンドレッティはカルロス・ロイテマンとジル・ヴィルヌーヴのフェラーリ/ミシュラン陣営にフロントロー独占を許しただけでなく、ブラバムのニキ・ラウダにも先行され予選4位という結果に終わりました。更にレースではチョイスした9.5インチ幅のナローフロントタイヤ、そして短いトップギアが何れも裏目に出てアンダーステアとトップスピード不足に苦しみます。スタートではダッシュを決めたブラバムのジョン・ワトソンにパスされて5位に後退、10周目にそのワトソンが脱落して4位に復帰しますが、18周目には8位スタートからグッドイヤーのノーマルタイヤで快走するウィリアムズのアラン・ジョーンズにパスされる屈辱を味わい、再び5位に後退します。その後もアンドレッティは彼自身をして「78に乗って以来最悪」と言わせたハンドリング不良に耐え、我慢の走行を続けました。そして28周目にラウダが脱落、39周目にはトップを快走していたヴィルヌーヴがバックマーカーのオーバーテイクに失敗してクラッシュすると、アンドレッティはトップを争うロイテマンとジョーンズのバトルに大きく遅れて3位を単独走行する事になります。レース終盤にジョーンズのマシンにフロントウィングの破損と燃料供給系にトラブル発生するとアンドレッテは労せずして2位に順位を上げますが、最終的にロイテマンに11秒の大差を付けられ、そのままフィニッシュとなりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化


<改訂履歴>
・v1.0(2012/11/15) 新規作成


【FILE 85. 1978 Rd.4 U.S.GP WEST – Mar.31 1978】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年6月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらはプラクティス中にマリオ・アンドレッティが使用したJPS18の姿。外観上の最大の特徴として、ロールバーに以前紹介した通り、グンナー・ニルソン用の物と思われる背の高い物が使用されている事です。この他コクピット前方のロールフープはJPS16及びJPS17に準じて大型化されていますが、両ラジエーターアウトレット前面のフィンはありません。マーキングはほぼJPS17と同じ仕様で、これまでスペアカーではしばしば記入される事の無かったコクピット両脇のドライバー名、及びインダクションボックス両側のKONIロゴは記入された状態になっています。またJPS17同様にリアウィング上面のウィニング・ローレルも確認出来ます。
ロングビーチでのJPS18はアンドレッティが金曜日にレースカーであるJPS17のエンジンがブローした際に使用しましたが、これがチーム・ロータスにおけるJPS18最後の姿でした。次戦モナコからはロータス79が投入される様になり、JPS18はJPS15と同様にヘクター・レバークに譲渡され、使用される事になりました。

<外観上の特徴>
・ロールバーはグンナー・ニルソン用の背の高いタイプ
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークあり
・リアウィングに追加フラップあり
・リアウィングにウィニング・ローレル2個(アルゼンチン、南アフリカGP)
・コクピット前方のロールフープを大型化


<改訂履歴>
・v1.0(2012/11/15) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.28 1978 International Trophy


今回はやや番外編的になりますが、1978年3月19日にシルバーストーンにて行われたノンタイトル戦、BRDCインターナショナル・トロフィーでのロータス78について取り上げます。この連載のVol.10でも記述しましたが、1970年代までは毎年イギリスでノンタイトルでのF1が開催されていました。当時イギリスGPがシルバーストーンとブランズハッチにて隔年開催されており、それに合わせてこのノンタイトル戦も交互に開催されていました。この1978年はイギリスGPがブランズハッチにて開催される事になっていた為、ノンタイトル戦はシルバーストーンにて日刊紙のデイリー・エクスプレスを冠スポンサーに、「BRDCインターナショナル・トロフィー」の名で、イギリス系チームを中心に15台の出走で開催されました。このレースでチーム・ロータスは遂に1978年用マシンであるロータス79(79/2=JPS20)をマリオ・アンドレッティのドライブでレースデビューさせますが、このマシンについてはまた別の機会に取り上げたいと考えています。一方のロニー・ピーターソンは従来のロータス78にて参戦しました。しかし決勝日は豪雨に見舞われてクラッシュが続出、完走僅か4台というレースを伏兵と思われたセオドールのケケ・ロズベルグが制しました。

写真:1978年インターナショナル・トロフィー決勝日、雨の中行われた朝のウォームアップ走行中に最終ウッドコート・コーナーでクラッシュしたロニー・ピーターソンのJPS16。ピーターソンのマシンの修復は断念され、ポールポジションからスタートする筈だった決勝の出場をキャンセルする事となった。(ESPN


【FILE 81. 1978 INTERNATIONAL TROPHY – March.18.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
この回ではロニー・ピーターソンが走らせたマシン2態について紹介しますが、シャシーナンバーについてはJPS16というのが定説になっているものの、以下に紹介する通り各所にスペアカーの特徴を強く残しており、JPS18である可能性も考えられます。まず最も目に付くのがドライバー後方のロールバーで、通常のピーターソン用の物よりも更に背が高い、グンナー・ニルソン用と思われる物が使用されています。一方フロント側のロールフープについては先の南アフリカGP決勝時と同様に大型化された物が使用されています。また、両サイドのラジエーターアウトレットのフィンも装備されていますが、フロントのオイルクーラー上方のフィンは装備されていません。マーキング面ではタバコ広告禁止のイギリスに合わせて両サイドプレート及びリアウィングのJohn Player Specialの文字は消されていますが、何故かコクピットカウルのJohn Player Specialの文字は残されています。そして左サイドプレートのカーナンバー6は、スペアカー用のブランク状態からステッカーで貼付された物と思われますが、何故か大きく傾斜しており、通常では直前のユニオンジャックに合わせた傾斜が付けられていますが、この時だけはほぼ直立に近い形状になっています。そして南アフリカGPで両コクピットサイドのドライバー名前方に移されたポーラー・キャラバンのロゴですが、左右ともフロント側に頭が来るように変更されています。また、スペアカーらしく?インダクションボックスのKONIロゴは有りません。

<外観上の特徴>
・ロールバーはグンナー・ニルソン用の背の高いタイプ
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・両サイドプレート及びリアウィングのJohn Player Specialの文字無し
・左サイドプレートのカーナンバー6が傾斜
・右側キルスイッチ位置現示マーク無し
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・コクピット前方のロールフープを大型化
・インダクションボックスのKONIロゴなし
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にフロント側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/09/15) 新規作成


【FILE 82. 1978 INTERNATIONAL TROPHY – March.18.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
もう一つ紹介するのがこちらの姿で、両ラジエーターのエアアウトレット前面のフィンが撤去されています。また、開幕以来ピーターソンはレースウィークをロータス/ゲトラグ製のギアボックスでスタートしていましたが、この時は直前のシルバーストーン・テストでテストした際に壊れてしまったせいか、最初からヒューランド製のギアボックスで走行しています。
ピーターソンはこのマシンでポールポジションを獲得しましたが、大雨に見舞われた決勝当日、左の姿からコクピットカウルのNACAダクトとJohn Player Specialのロゴを黒テープで塞いで臨んだ午前中のウォームアップ走行中にピーターソンは最終ウッドコート・コーナーでコースオフ、キャッチフェンスに捕まってマシンのフロント部分とリアウィングにダメージを受けてしまい、決勝出走を断念しています。また、JPS20で予選3位からスタートしたアンドレッティも僅か3周目にしてアビー・カーブでコースオフ、マシンのフロント部分を大破、そして右側のエンジンマウントのソケットも破損してしまい、修復に時間を費やす事となりGPデビューが大きく遅れる事になります。

<外観上の特徴>
・ロールバーはグンナー・ニルソン用の背の高いタイプ
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・両サイドプレート及びリアウィングのJohn Player Specialの文字無し
・左サイドプレートのカーナンバー6が傾斜
・右側キルスイッチ位置現示マーク無し
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にフロント側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/09/15) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


凄過ぎる!アレックス・ザナルディ2冠達成!




写真:2008年10月25日、岡山国際サーキットで行われたWTCCのパドックにてサインを求めるファンに応じるザナルディ。

一昨日のタイムトライアルでの金メダルの興奮醒めやらない2012年9月7日、同じくブランズハッチ・サーキットで行われたロンドン・パラリンピック自転車ロード男子個人H4レース(8km×8LAPS=64km)が先程終了、我らが(!)アレックス・ザナルディが2位のエムスト・ヴァン・ダイク選手(南アフリカ)を僅か1秒差で振り切り、2時間0分32秒のタイムで優勝、見事に個人2冠を達成しました!

ロンドン・パラリンピック公式サイトのライヴチャートから推測する模様では、レースは10人の出走でスタート、ザナルディを含む8名が終始集団を形成したままレースは進行、途中集団の最後尾でザナルディは様子を見ながら、7周目突入時点で集団の先頭に立ち、そして最終ラップの勝負を制した模様です(8人は約3秒差以内でフィニッシュしており、その激しさが窺えます)。

先日のタイムトライアルでの金メダルのニュースは世界中を駆け巡り、世界中のレース界関係者、そしてファンが称賛の言葉を贈ったわけですが、もうここまで来ると本当に言葉が有りません。唯々彼の凄さ・偉大さに驚嘆するのみです。もうここまで来たなら、是非明日の団体リレーも制して3冠を達成してほしい物です。
本当に凄過ぎる! 改めておめでとう、アレックス・ザナルディ!


写真:筆者の拙作、1/20ロータス107Bにサインをするザナルディ。本当にありがとう!

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おめでとう!アレックス・ザナルディ!


写真:2008年10月26日、岡山国際サーキットで行われたWTCCのピットにて筆者の応援メッセージにサムアップで応えるザナルディ。

2012年9月5日にブランズハッチ・サーキットにて行われたロンドン・パラリンピック自転車ロード男子個人H4タイムトライアル(8km×2LAPS=16km)にて、元ロータスF1ドライバーのアレックス・ザナルディ(本名:アレッサンドロ・ザナルディ)が12分11秒13のタイムで金メダルを獲得しました!

ザナルディは1993年、シーズン開幕前にマクラーレンへと移籍したミカ・ハッキネンの後任としてチーム・ロータスに加入して以来、クラッシュによる一時離脱を経て、チームの終焉となった1994年最終戦オーストラリアGPまで戦った、栄光のチーム・ロータス最後のドライバーでした。

その後1996年にアメリカCARTシリーズに転向、ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシングのレイナード・ホンダをドライブしてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得、更に1997・98年と2年連続でドライバーズ・タイトルを獲得し、不遇だったF1キャリアから一転、アメリカン・ドリームを手にします。1996年ラグナ・セカのコークスクリューでは掟破りのコース外からのオーバーテイク「The Pass」、1997年クリーブランドでは2度のペナルティで最後尾に下げられてからの全車ゴボウ抜き優勝、1998年ロングビーチではアクシデントに巻き込まれて曲がったフロントサスペンションで周回遅れからの逆転優勝、そして毎回優勝を決めた後に見せた派手なスピンターン「ドーナツ」等、アメリカン・レーシングの歴史に数々の名シーンを残しました。

しかしその後F1復帰から再度CARTに出戻った2001年9月15日にドイツ・ラウジッツリンクで行われたレースにて、トップを快走していたラスト13周、ピットでスプラッシュ&ダッシュを行ったそのピットロードでスピン、第一コーナーのコース上に飛び出した所でアレックス・タグリアーニとクラッシュ、マシンはコクピットから前方が完全に吹き飛ばされ、ザナルディは両脚が膝上まで粉砕、そして大量失血により生命の危機に瀕し、誰もが彼のキャリアは悲劇で終わった物と思いました。

しかしザナルディの本当の凄さはここからでした。両脚義足となりながらも常にポジティブにリハビリに取り組み続けたザナルディは、僅か1年半後の2003年5月11日、同じくラウジッツで行われたCARTシリーズのレース前に、「あの日、走れなかった13周」をデモランという形で、当時と同じカラーリングのCARTマシンでサーキットを疾走、同レースでの予選5位相当のタイムを叩き出してサーキットを興奮と感動の坩堝へと叩き込みました(ドイツまで見に行きました… 疾走するマシンと共にスタンドから湧き上がるウェーブ… 全身に鳥肌が立ち、視界が感涙に滲んだ… あの瞬間は忘れない…)。その後2005年からはBMWからWTCCにフル参戦、2009年迄に通算4勝を挙げ、レーシング・ドライバーのキャリアに(一旦)終止符を打ちました。

写真:2003年5月11日、ドイツ・ユーロスピードウェイ・ラウジッツリンクにて行われたCART第5戦GERMAN500のレース前、デモランでサーキットを疾走するアレックス・ザナルディのレイナード02I。この日の為にマシンには特別な改造が施され、そしてカラーリングは2年前に彼がドライブした時と同じ物に変更された。マシンが通過するスタンドからは観客からの凄まじいホーン音と歓声と共にウェーブが湧き上がり、サーキットは興奮と感動に包まれた。

その後本格的にハンドサイクリストへと転向、特にこの2012年ロンドン・パラリンピックを目標としている事を常に公言して来たザナルディ。そしてその目標をクリアしたばかりか、その結果が鮮やか過ぎるデビュー・ウィン!どんな試練や困難にでも打ち勝ち、そしてハッピーエンドのストーリーに変えてしまう本当に凄い男、早口の英語でジョークを連発し、いつも何か人を驚かせる事をしてやろうと企んでいる陽気なイタリアン、そして何より自分に生きる勇気を与えてくれる最強のヒーロー、アレックス・ザナルディ!本当におめでとう!

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