Lotus78 History & Markings – Vol.28 1978 International Trophy


今回はやや番外編的になりますが、1978年3月19日にシルバーストーンにて行われたノンタイトル戦、BRDCインターナショナル・トロフィーでのロータス78について取り上げます。この連載のVol.10でも記述しましたが、1970年代までは毎年イギリスでノンタイトルでのF1が開催されていました。当時イギリスGPがシルバーストーンとブランズハッチにて隔年開催されており、それに合わせてこのノンタイトル戦も交互に開催されていました。この1978年はイギリスGPがブランズハッチにて開催される事になっていた為、ノンタイトル戦はシルバーストーンにて日刊紙のデイリー・エクスプレスを冠スポンサーに、「BRDCインターナショナル・トロフィー」の名で、イギリス系チームを中心に15台の出走で開催されました。このレースでチーム・ロータスは遂に1978年用マシンであるロータス79(79/2=JPS20)をマリオ・アンドレッティのドライブでレースデビューさせますが、このマシンについてはまた別の機会に取り上げたいと考えています。一方のロニー・ピーターソンは従来のロータス78にて参戦しました。しかし決勝日は豪雨に見舞われてクラッシュが続出、完走僅か4台というレースを伏兵と思われたセオドールのケケ・ロズベルグが制しました。

写真:1978年インターナショナル・トロフィー決勝日、雨の中行われた朝のウォームアップ走行中に最終ウッドコート・コーナーでクラッシュしたロニー・ピーターソンのJPS16。ピーターソンのマシンの修復は断念され、ポールポジションからスタートする筈だった決勝の出場をキャンセルする事となった。(ESPN


【FILE 81. 1978 INTERNATIONAL TROPHY – March.18.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
この回ではロニー・ピーターソンが走らせたマシン2態について紹介しますが、シャシーナンバーについてはJPS16というのが定説になっているものの、以下に紹介する通り各所にスペアカーの特徴を強く残しており、JPS18である可能性も考えられます。まず最も目に付くのがドライバー後方のロールバーで、通常のピーターソン用の物よりも更に背が高い、グンナー・ニルソン用と思われる物が使用されています。一方フロント側のロールフープについては先の南アフリカGP決勝時と同様に大型化された物が使用されています。また、両サイドのラジエーターアウトレットのフィンも装備されていますが、フロントのオイルクーラー上方のフィンは装備されていません。マーキング面ではタバコ広告禁止のイギリスに合わせて両サイドプレート及びリアウィングのJohn Player Specialの文字は消されていますが、何故かコクピットカウルのJohn Player Specialの文字は残されています。そして左サイドプレートのカーナンバー6は、スペアカー用のブランク状態からステッカーで貼付された物と思われますが、何故か大きく傾斜しており、通常では直前のユニオンジャックに合わせた傾斜が付けられていますが、この時だけはほぼ直立に近い形状になっています。そして南アフリカGPで両コクピットサイドのドライバー名前方に移されたポーラー・キャラバンのロゴですが、左右ともフロント側に頭が来るように変更されています。また、スペアカーらしく?インダクションボックスのKONIロゴは有りません。

<外観上の特徴>
・ロールバーはグンナー・ニルソン用の背の高いタイプ
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・両サイドプレート及びリアウィングのJohn Player Specialの文字無し
・左サイドプレートのカーナンバー6が傾斜
・右側キルスイッチ位置現示マーク無し
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・コクピット前方のロールフープを大型化
・インダクションボックスのKONIロゴなし
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にフロント側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/09/15) 新規作成


【FILE 82. 1978 INTERNATIONAL TROPHY – March.18.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
もう一つ紹介するのがこちらの姿で、両ラジエーターのエアアウトレット前面のフィンが撤去されています。また、開幕以来ピーターソンはレースウィークをロータス/ゲトラグ製のギアボックスでスタートしていましたが、この時は直前のシルバーストーン・テストでテストした際に壊れてしまったせいか、最初からヒューランド製のギアボックスで走行しています。
ピーターソンはこのマシンでポールポジションを獲得しましたが、大雨に見舞われた決勝当日、左の姿からコクピットカウルのNACAダクトとJohn Player Specialのロゴを黒テープで塞いで臨んだ午前中のウォームアップ走行中にピーターソンは最終ウッドコート・コーナーでコースオフ、キャッチフェンスに捕まってマシンのフロント部分とリアウィングにダメージを受けてしまい、決勝出走を断念しています。また、JPS20で予選3位からスタートしたアンドレッティも僅か3周目にしてアビー・カーブでコースオフ、マシンのフロント部分を大破、そして右側のエンジンマウントのソケットも破損してしまい、修復に時間を費やす事となりGPデビューが大きく遅れる事になります。

<外観上の特徴>
・ロールバーはグンナー・ニルソン用の背の高いタイプ
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・両サイドプレート及びリアウィングのJohn Player Specialの文字無し
・左サイドプレートのカーナンバー6が傾斜
・右側キルスイッチ位置現示マーク無し
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にフロント側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/09/15) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

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凄過ぎる!アレックス・ザナルディ2冠達成!




写真:2008年10月25日、岡山国際サーキットで行われたWTCCのパドックにてサインを求めるファンに応じるザナルディ。

一昨日のタイムトライアルでの金メダルの興奮醒めやらない2012年9月7日、同じくブランズハッチ・サーキットで行われたロンドン・パラリンピック自転車ロード男子個人H4レース(8km×8LAPS=64km)が先程終了、我らが(!)アレックス・ザナルディが2位のエムスト・ヴァン・ダイク選手(南アフリカ)を僅か1秒差で振り切り、2時間0分32秒のタイムで優勝、見事に個人2冠を達成しました!

ロンドン・パラリンピック公式サイトのライヴチャートから推測する模様では、レースは10人の出走でスタート、ザナルディを含む8名が終始集団を形成したままレースは進行、途中集団の最後尾でザナルディは様子を見ながら、7周目突入時点で集団の先頭に立ち、そして最終ラップの勝負を制した模様です(8人は約3秒差以内でフィニッシュしており、その激しさが窺えます)。

先日のタイムトライアルでの金メダルのニュースは世界中を駆け巡り、世界中のレース界関係者、そしてファンが称賛の言葉を贈ったわけですが、もうここまで来ると本当に言葉が有りません。唯々彼の凄さ・偉大さに驚嘆するのみです。もうここまで来たなら、是非明日の団体リレーも制して3冠を達成してほしい物です。
本当に凄過ぎる! 改めておめでとう、アレックス・ザナルディ!


写真:筆者の拙作、1/20ロータス107Bにサインをするザナルディ。本当にありがとう!

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おめでとう!アレックス・ザナルディ!


写真:2008年10月26日、岡山国際サーキットで行われたWTCCのピットにて筆者の応援メッセージにサムアップで応えるザナルディ。

2012年9月5日にブランズハッチ・サーキットにて行われたロンドン・パラリンピック自転車ロード男子個人H4タイムトライアル(8km×2LAPS=16km)にて、元ロータスF1ドライバーのアレックス・ザナルディ(本名:アレッサンドロ・ザナルディ)が12分11秒13のタイムで金メダルを獲得しました!

ザナルディは1993年、シーズン開幕前にマクラーレンへと移籍したミカ・ハッキネンの後任としてチーム・ロータスに加入して以来、クラッシュによる一時離脱を経て、チームの終焉となった1994年最終戦オーストラリアGPまで戦った、栄光のチーム・ロータス最後のドライバーでした。

その後1996年にアメリカCARTシリーズに転向、ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシングのレイナード・ホンダをドライブしてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得、更に1997・98年と2年連続でドライバーズ・タイトルを獲得し、不遇だったF1キャリアから一転、アメリカン・ドリームを手にします。1996年ラグナ・セカのコークスクリューでは掟破りのコース外からのオーバーテイク「The Pass」、1997年クリーブランドでは2度のペナルティで最後尾に下げられてからの全車ゴボウ抜き優勝、1998年ロングビーチではアクシデントに巻き込まれて曲がったフロントサスペンションで周回遅れからの逆転優勝、そして毎回優勝を決めた後に見せた派手なスピンターン「ドーナツ」等、アメリカン・レーシングの歴史に数々の名シーンを残しました。

しかしその後F1復帰から再度CARTに出戻った2001年9月15日にドイツ・ラウジッツリンクで行われたレースにて、トップを快走していたラスト13周、ピットでスプラッシュ&ダッシュを行ったそのピットロードでスピン、第一コーナーのコース上に飛び出した所でアレックス・タグリアーニとクラッシュ、マシンはコクピットから前方が完全に吹き飛ばされ、ザナルディは両脚が膝上まで粉砕、そして大量失血により生命の危機に瀕し、誰もが彼のキャリアは悲劇で終わった物と思いました。

しかしザナルディの本当の凄さはここからでした。両脚義足となりながらも常にポジティブにリハビリに取り組み続けたザナルディは、僅か1年半後の2003年5月11日、同じくラウジッツで行われたCARTシリーズのレース前に、「あの日、走れなかった13周」をデモランという形で、当時と同じカラーリングのCARTマシンでサーキットを疾走、同レースでの予選5位相当のタイムを叩き出してサーキットを興奮と感動の坩堝へと叩き込みました(ドイツまで見に行きました… 疾走するマシンと共にスタンドから湧き上がるウェーブ… 全身に鳥肌が立ち、視界が感涙に滲んだ… あの瞬間は忘れない…)。その後2005年からはBMWからWTCCにフル参戦、2009年迄に通算4勝を挙げ、レーシング・ドライバーのキャリアに(一旦)終止符を打ちました。

写真:2003年5月11日、ドイツ・ユーロスピードウェイ・ラウジッツリンクにて行われたCART第5戦GERMAN500のレース前、デモランでサーキットを疾走するアレックス・ザナルディのレイナード02I。この日の為にマシンには特別な改造が施され、そしてカラーリングは2年前に彼がドライブした時と同じ物に変更された。マシンが通過するスタンドからは観客からの凄まじいホーン音と歓声と共にウェーブが湧き上がり、サーキットは興奮と感動に包まれた。

その後本格的にハンドサイクリストへと転向、特にこの2012年ロンドン・パラリンピックを目標としている事を常に公言して来たザナルディ。そしてその目標をクリアしたばかりか、その結果が鮮やか過ぎるデビュー・ウィン!どんな試練や困難にでも打ち勝ち、そしてハッピーエンドのストーリーに変えてしまう本当に凄い男、早口の英語でジョークを連発し、いつも何か人を驚かせる事をしてやろうと企んでいる陽気なイタリアン、そして何より自分に生きる勇気を与えてくれる最強のヒーロー、アレックス・ザナルディ!本当におめでとう!

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.27 1978 Rd.3 South African GP


今回はブラジルGPから6週間ものインターバルを経た3月4日(土曜日)にキャラミ・サーキットで決勝が行われた1978年南アフリカGPでのロータス78について取り上げます。1月の南米2戦を終え、各チームはこの6週間のインターバルの間にニューマシンの開発を進め、フェラーリやブラバムは1978年用マシンを完成させ、GP開幕に先立って同サーキットで行われたテストを経てレースに臨む事になりました。このテストはグッドイヤー、ミシュランの両タイヤメーカーにとっても重要な事前テストとして位置づけられ、前者は約10種類、3000本ものタイヤを持ち込む力の入れ様でした。一方キャラミ・サーキットは資金難から開催が危ぶまれていましたが、何とか全国紙であるシチズン・ニューズのスポンサーを得て開催に漕ぎ付ける事が出来ました。そしてレースは、トム・プライスの惨劇によって沈痛な空気に包まれた前年から一転、F1世界選手権として通算300戦目となる記念のレースにふさわしく、次々とトップが入れ替わり、最終ラップまで目が離せないエキサイティングなものとなりました。

写真:1978年南アフリカGP最終ラップ(LAP78/78)、コース奥のクラブハウス・コーナー立ち上がりでホイール・トゥ・ホイールのトップ争いを展開するパトリック・デパイエのティレル008(手前)とロニー・ピーターソンのJPS16。エンジントラブルによりパワーを失いながら必死の抵抗を見せたデパイエだったが、この直後のエセス・コーナー入口でピーターソンはデパイエのインをこじ開けてパス、チーム・ロータス復帰後初勝利を挙げた。(ZDF


【FILE 77. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.2-3.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初はプラクティスにおけるロニー・ピーターソンのJPS16。チーム・ロータスはキャラミまでに軒並みニューマシンを投入した他チームと異なり、引き続き前年型であるロータス78をこのレースでも使用しますが、更にマシンの開発は進められ、このレースからサイドスカートが従来のSuck-Downタイプからスライディングスカートへと変更されます。このスライディングスカートはニューマシンであるロータス79の開発からフィードバックされた物で、モノコック側に設けられたパンタグラフ状の板バネによってスカートを路面に押し付ける構造となっています。これによって加減速時のマシンの上下動の際にもスカートは路面からの空気の流入を防ぎ、より安定したダウンフォースが得られる様になっています。またこの他にも高速サーキットのキャラミに合わせ、リアウィングのエレメントは再びローダウンフォースの物が使用され、今回はガーニーフラップも装備されていない様に見えます。今回も両サイドラジエーターアウトレットのフィンは装備されていますが、前戦ブラジルGPにて用いられたフロントのオイルクーラーのフィンは外されています。またマーキングの特徴として、前戦まではインダクションボックスのエアインテーク部分に記入されていたポーラー・キャラバンのロゴはモノコック側面のドライバー名前方に移されています(向きは左右共にリア側が頭)。
ピーターソンは南アフリカでも引き続き、木曜日にロータス/ゲトラグ製ギアボックスを試すものの、やはりクラウンギアとピニオンが破損してしまいます。しかしスペアカーのJPS18はアンドレッティがレースカーであるJPS17のステアリングトラブルにより使用していた為に使用出来ず、ピーターソンは私服に着替えての見物を余儀なくされます。金曜日には結局ヒューランド製のギアボックスに戻したものの、セットアップが不十分な上に今度は短いキャラミのコースでトラフィックに苦しみ、予選結果は12位という不本意な物に終わってしまいました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


【FILE 78. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.4.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらがピーターソンが土曜の決勝にて使用したJPS16の姿。最大のポイントは、コクピット開口部前方に位置しているフロント側のロールフープが大型化され、干渉を避ける為にコクピットカウルに穴が開けられている点です。このモディファイが行われたタイミングは不明で、キャラミで撮影された写真の数点はこのロールフープが従来通りの物もあり、またピーターソンはスペアカーであるJPS18は使用していない事から、週末のどこかのタイミング(木曜の夜or金曜の夜)で行われた可能性が高いです。しかし太い金属パイプを曲げて従来のロールフープに溶接するという容易とは言えない作業であるはずで、可能ではあるもののピットでの一夜の作業で行われたのかという疑問も残ります。従って従来の形状の写真は直前のキャラミ・テストでの状態であった可能性も考えられます。また、決勝ではフロントノーズのオイルクーラーのエアインテーク上方にフィンを追加した状態で走行しています。
決勝ではピーターソンはストレートスピードの不足によりポジションを上げる事が出来ず、序盤は苦しい走行を強いられます。この為ピーターソンは予めブリスター対策としてイン側のショルダーを削っていた左フロントタイヤを温存し、我慢の走行に徹します。そしてピーターソンの期待は的中し、レースが中盤から終盤に差し掛かる頃、高地であるキャラミ名物のエンジントラブルが主な原因となり、彼の前を走るドライバーが次々と脱落を始めます。39周目にはルノー・ターボで高地の薄い酸素をものともせず圧倒的なストレートスピードを誇っていたジャン-ピエール・ジャブイーユがミスファイアで、53周目にはポールポジションからスタートしたブラバムのニキ・ラウダがエンジントラブルでリタイア、そして53周目から56周目にかけてサーティーズのルパート・キーガンとフェラーリのジル・ヴィルヌーヴがオイルをコースに撒いてリタイアした事が混乱に拍車を掛け、フェラーリのチームメイトであるカルロス・ロイテマン、マクラーレンのパトリック・タンベイがこのオイルに乗ってクラッシュ、さらに60周目には地元観衆の期待を背負い、一時はトップを走行していたウルフのジョディ・シェクターもエンジントラブルが原因でスピンしてリタイア、64周目にはチームデビュー2戦目ながらトップを快走していたアロウズのリカルド・パトレーゼまでもエンジントラブルでリタイアし、ピーターソンはティレルのパトリック・デパイエ、チームメイトのマリオ・アンドレッティ、そしてブラバムのジョン・ワトソンに続く4位にまでポジションを上げます。そして今度はワトソンがオイルに乗ってスピン、ピーターソンは労せずして3位に上昇するとレースも残り4周となった74周目にはエンジンからオイルが噴き始めたデパイエと、タイヤトラブルに苦しむアンドレッティの背後に急速に迫っていきます。そして75周目にガス欠により突然失速したアンドレッティをパスして2位に上昇します。しかしまだデパイエのテールは遠いと思われたファイナルラップ、ホームストレート直後のクローソン・コーナーで、デパイエは周回遅れとなっていたヘクター・レバーク(ロータス78/1を購入してプライベート参戦)の背後で、エンジントラブルが深刻化して失速を始めます。ピーターソンは瞬く間にレバークを抜けないデパイエの背後に迫りますが、デパイエは必死にピーターソンのホイールをヒットしながらラインを塞いで抵抗します。そのまま3台はもつれるようにしてコース奥のクラブハウス・コーナーに進入、ピーターソンは未だレバークを抜けずに立ち上がりで失速したデパイエのインにマシンをねじ込みます。そしてピーターソンは再度デパイエにホイールをヒットされながらも次のエセス・コーナーの進入でインをこじ開ける事に成功、そのまま最終コーナーを立ち上がってチェッカーを受け、波乱に満ちたドラマティックなレースを制しました。ピーターソンにとって、1976年イタリアGPでマーチを駆って優勝して以来1年半ぶりの優勝となったこの勝利は、「ピーターソンはもう終わった」とみなしていた周囲に対する見返しという、大きな意味を持った勝利となりました。

・フロントノーズのオイルクーラー上方にフィンを追加
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


【FILE 79. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.2-3.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのJPS17も、プラクティス時はほぼJPS16と同様の姿をしており、サイドスカートはスライディングスカートに変更されている他、ストレートの長い高速サーキットのキャラミに合わせてリアウィングのエレメントはローダウンフォースの物に変更され、フロントのオイルクーラーのフィンは外されています。また、コクピット開口部前方のロールフープも従来通りの形状です。そしてマーキングの特徴として、コクピットカウル開口部前方のJohn Player Specialの文字の上方に、矩形の小さなステッカーが貼付されている模様です。このステッカーのディティールはクローズアップした写真が無い為に不明ですが、白地に赤い枠が描かれており、その内側に何か文字かイラストが描かれている様に見えます。
キャラミでのアンドレッティはプラクティスでトラブルが相次ぎます。木曜にはJPS17のステアリングロッドが破損してスペアカーのJPS18に乗り換え、更にその後修復されたJPS17に乗り換えたものの、今度はまたしてもコスワースのスペシャルDFVのフューエルメータリングユニットにトラブルが発生してしまいます。更に金曜には事前の精力的なテストにも拘わらずグッドイヤーのスペシャルタイヤが南アフリカの暑さの下でグリップを発揮出来ずに苦しみます。しかし最終的には何とか、ニューマシンBT46をデビューさせたブラバムのニキ・ラウダにポールポジションを譲ったものの、予選2位という結果を得ました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


【FILE 80. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.4.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
アンドレッティのJPS17も、JPS16同様に土曜の決勝時にはコクピット開口部前方のロールフープが大型化されました。FILE.78のJPS16の項でも述べましたが、実際にどのタイミングでこのロールフープの加工がおこなわれたのかは明確には判りません。また長身で元々リア側のロールバーが高くなっているピーターソンの為であればその作業を行った理由も判らなくもありませんが、小柄なアンドレッティのマシンにも同じタイミングで変更が加えられているのにも疑問が残ります。また、これに伴いFILE.79で紹介したコクピットカウルのJohn Player Secialの文字上方に有ったステッカーは消え、その部分から大型化されたロールフープが顔を出しています。またピーターソンのJPS16は決勝時にフロントノーズのオイルクーラーのエアインテーク上方にフィンを追加していますが、アンドレッティのJPS17にはこのフィンは装備されていない模様です。
土曜日の決勝前、オフィシャルのミスからスターティンググリッドの位置をめぐって混乱が発生します。ポールポジションのラウダは本来ストレート先のクローソン・コーナーに対してイン側となる右側にポジションを取る筈でしたが、オフィシャルの手書きによるグリッドではポールが左側と指示されていました。結局最終的に左右を入れ替える形で左側のグリッドからスタートしたアンドレッティは、スタートでギアシフトに失敗したラウダをパスしてトップでクローソン・コーナーへ進入、そしてそのまま得意のスパートを見せて後続を大きく引き離します。しかし17周目を過ぎた辺りからアンドレッティの左フロントタイヤはイン側にブリスターが発生、21周目には地元観衆の声援を受けて走るシェクターにトップの座を明け渡します。その後もタイヤが苦しくなったアンドレッティはラウダ、パトレーゼ、デパイエにもパスされて5位に後退します。しかしFILE.78でも紹介した通り53周目にラウダが、そして60周目にシェクター、64周目にパトレーゼと彼の前を走るドライバーが次々に脱落した為、アンドレッティはデパイエに続く2位までポジションを回復します。そしてレースも残り5周となった74周目、デパイエのエンジンからオイルが噴き始めるとアンドレッティはデパイエとの差を縮め始めましたが、75周目にコース奥のクラブハウス・コーナーの立ち上がりで突然ガス欠により失速、すぐ背後まで迫っていたチームメイトのピーターソンにパスされて3位に後退します。アンドレッティは残り3周で給油の為ピットインを余儀なくされ、しかも既に燃料供給系に空気が入ってしまっていた為にエンジンのリスタートに手間取り、レースに戻った時には既に1周遅れの7位にまで後退しており、そのままチェッカーを受ける事になりました。アンドレッティのガス欠の原因は、ボスのコーリン・チャップマンがレース前、アンドレッティのタイヤへの負担を緩和する為の車重低減を目的として燃料を3ガロン抜く様にメカニックに指示した為とされています。チーム・ロータスのメカニックであったグレン・ウォータースは、「メカニックの間では、通常チャップマンから燃料を抜く様に指示された場合、誤差を考慮して1ガロンは多く残しておく”the mechanic’s gallon”と呼ばれる習慣があったが、今回はチャップマンが直接その作業を監督していた為、正確に3ガロンを抜かざるを得ず、この為にアンドレッティは勝てるレースを落としてしまった」と証言しています(但し1周が短いキャラミと言えど、1ガロンの燃料では残り3周を走り切れたかどうかは疑問)。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・コクピット前方のロールフープを大型化


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –