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Lotus78 History & Markings – Vol.27 1978 Rd.3 South African GP


今回はブラジルGPから6週間ものインターバルを経た3月4日(土曜日)にキャラミ・サーキットで決勝が行われた1978年南アフリカGPでのロータス78について取り上げます。1月の南米2戦を終え、各チームはこの6週間のインターバルの間にニューマシンの開発を進め、フェラーリやブラバムは1978年用マシンを完成させ、GP開幕に先立って同サーキットで行われたテストを経てレースに臨む事になりました。このテストはグッドイヤー、ミシュランの両タイヤメーカーにとっても重要な事前テストとして位置づけられ、前者は約10種類、3000本ものタイヤを持ち込む力の入れ様でした。一方キャラミ・サーキットは資金難から開催が危ぶまれていましたが、何とか全国紙であるシチズン・ニューズのスポンサーを得て開催に漕ぎ付ける事が出来ました。そしてレースは、トム・プライスの惨劇によって沈痛な空気に包まれた前年から一転、F1世界選手権として通算300戦目となる記念のレースにふさわしく、次々とトップが入れ替わり、最終ラップまで目が離せないエキサイティングなものとなりました。

写真:1978年南アフリカGP最終ラップ(LAP78/78)、コース奥のクラブハウス・コーナー立ち上がりでホイール・トゥ・ホイールのトップ争いを展開するパトリック・デパイエのティレル008(手前)とロニー・ピーターソンのJPS16。エンジントラブルによりパワーを失いながら必死の抵抗を見せたデパイエだったが、この直後のエセス・コーナー入口でピーターソンはデパイエのインをこじ開けてパス、チーム・ロータス復帰後初勝利を挙げた。(ZDF


【FILE 77. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.2-3.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初はプラクティスにおけるロニー・ピーターソンのJPS16。チーム・ロータスはキャラミまでに軒並みニューマシンを投入した他チームと異なり、引き続き前年型であるロータス78をこのレースでも使用しますが、更にマシンの開発は進められ、このレースからサイドスカートが従来のSuck-Downタイプからスライディングスカートへと変更されます。このスライディングスカートはニューマシンであるロータス79の開発からフィードバックされた物で、モノコック側に設けられたパンタグラフ状の板バネによってスカートを路面に押し付ける構造となっています。これによって加減速時のマシンの上下動の際にもスカートは路面からの空気の流入を防ぎ、より安定したダウンフォースが得られる様になっています。またこの他にも高速サーキットのキャラミに合わせ、リアウィングのエレメントは再びローダウンフォースの物が使用され、今回はガーニーフラップも装備されていない様に見えます。今回も両サイドラジエーターアウトレットのフィンは装備されていますが、前戦ブラジルGPにて用いられたフロントのオイルクーラーのフィンは外されています。またマーキングの特徴として、前戦まではインダクションボックスのエアインテーク部分に記入されていたポーラー・キャラバンのロゴはモノコック側面のドライバー名前方に移されています(向きは左右共にリア側が頭)。
ピーターソンは南アフリカでも引き続き、木曜日にロータス/ゲトラグ製ギアボックスを試すものの、やはりクラウンギアとピニオンが破損してしまいます。しかしスペアカーのJPS18はアンドレッティがレースカーであるJPS17のステアリングトラブルにより使用していた為に使用出来ず、ピーターソンは私服に着替えての見物を余儀なくされます。金曜日には結局ヒューランド製のギアボックスに戻したものの、セットアップが不十分な上に今度は短いキャラミのコースでトラフィックに苦しみ、予選結果は12位という不本意な物に終わってしまいました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


【FILE 78. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.4.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらがピーターソンが土曜の決勝にて使用したJPS16の姿。最大のポイントは、コクピット開口部前方に位置しているフロント側のロールフープが大型化され、干渉を避ける為にコクピットカウルに穴が開けられている点です。このモディファイが行われたタイミングは不明で、キャラミで撮影された写真の数点はこのロールフープが従来通りの物もあり、またピーターソンはスペアカーであるJPS18は使用していない事から、週末のどこかのタイミング(木曜の夜or金曜の夜)で行われた可能性が高いです。しかし太い金属パイプを曲げて従来のロールフープに溶接するという容易とは言えない作業であるはずで、可能ではあるもののピットでの一夜の作業で行われたのかという疑問も残ります。従って従来の形状の写真は直前のキャラミ・テストでの状態であった可能性も考えられます。また、決勝ではフロントノーズのオイルクーラーのエアインテーク上方にフィンを追加した状態で走行しています。
決勝ではピーターソンはストレートスピードの不足によりポジションを上げる事が出来ず、序盤は苦しい走行を強いられます。この為ピーターソンは予めブリスター対策としてイン側のショルダーを削っていた左フロントタイヤを温存し、我慢の走行に徹します。そしてピーターソンの期待は的中し、レースが中盤から終盤に差し掛かる頃、高地であるキャラミ名物のエンジントラブルが主な原因となり、彼の前を走るドライバーが次々と脱落を始めます。39周目にはルノー・ターボで高地の薄い酸素をものともせず圧倒的なストレートスピードを誇っていたジャン-ピエール・ジャブイーユがミスファイアで、53周目にはポールポジションからスタートしたブラバムのニキ・ラウダがエンジントラブルでリタイア、そして53周目から56周目にかけてサーティーズのルパート・キーガンとフェラーリのジル・ヴィルヌーヴがオイルをコースに撒いてリタイアした事が混乱に拍車を掛け、フェラーリのチームメイトであるカルロス・ロイテマン、マクラーレンのパトリック・タンベイがこのオイルに乗ってクラッシュ、さらに60周目には地元観衆の期待を背負い、一時はトップを走行していたウルフのジョディ・シェクターもエンジントラブルが原因でスピンしてリタイア、64周目にはチームデビュー2戦目ながらトップを快走していたアロウズのリカルド・パトレーゼまでもエンジントラブルでリタイアし、ピーターソンはティレルのパトリック・デパイエ、チームメイトのマリオ・アンドレッティ、そしてブラバムのジョン・ワトソンに続く4位にまでポジションを上げます。そして今度はワトソンがオイルに乗ってスピン、ピーターソンは労せずして3位に上昇するとレースも残り4周となった74周目にはエンジンからオイルが噴き始めたデパイエと、タイヤトラブルに苦しむアンドレッティの背後に急速に迫っていきます。そして75周目にガス欠により突然失速したアンドレッティをパスして2位に上昇します。しかしまだデパイエのテールは遠いと思われたファイナルラップ、ホームストレート直後のクローソン・コーナーで、デパイエは周回遅れとなっていたヘクター・レバーク(ロータス78/1を購入してプライベート参戦)の背後で、エンジントラブルが深刻化して失速を始めます。ピーターソンは瞬く間にレバークを抜けないデパイエの背後に迫りますが、デパイエは必死にピーターソンのホイールをヒットしながらラインを塞いで抵抗します。そのまま3台はもつれるようにしてコース奥のクラブハウス・コーナーに進入、ピーターソンは未だレバークを抜けずに立ち上がりで失速したデパイエのインにマシンをねじ込みます。そしてピーターソンは再度デパイエにホイールをヒットされながらも次のエセス・コーナーの進入でインをこじ開ける事に成功、そのまま最終コーナーを立ち上がってチェッカーを受け、波乱に満ちたドラマティックなレースを制しました。ピーターソンにとって、1976年イタリアGPでマーチを駆って優勝して以来1年半ぶりの優勝となったこの勝利は、「ピーターソンはもう終わった」とみなしていた周囲に対する見返しという、大きな意味を持った勝利となりました。

・フロントノーズのオイルクーラー上方にフィンを追加
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・コクピット前方のロールフープを大型化
・ポーラー・キャラバンのロゴはモノコックのドライバー名前方に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


【FILE 79. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.2-3.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのJPS17も、プラクティス時はほぼJPS16と同様の姿をしており、サイドスカートはスライディングスカートに変更されている他、ストレートの長い高速サーキットのキャラミに合わせてリアウィングのエレメントはローダウンフォースの物に変更され、フロントのオイルクーラーのフィンは外されています。また、コクピット開口部前方のロールフープも従来通りの形状です。そしてマーキングの特徴として、コクピットカウル開口部前方のJohn Player Specialの文字の上方に、矩形の小さなステッカーが貼付されている模様です。このステッカーのディティールはクローズアップした写真が無い為に不明ですが、白地に赤い枠が描かれており、その内側に何か文字かイラストが描かれている様に見えます。
キャラミでのアンドレッティはプラクティスでトラブルが相次ぎます。木曜にはJPS17のステアリングロッドが破損してスペアカーのJPS18に乗り換え、更にその後修復されたJPS17に乗り換えたものの、今度はまたしてもコスワースのスペシャルDFVのフューエルメータリングユニットにトラブルが発生してしまいます。更に金曜には事前の精力的なテストにも拘わらずグッドイヤーのスペシャルタイヤが南アフリカの暑さの下でグリップを発揮出来ずに苦しみます。しかし最終的には何とか、ニューマシンBT46をデビューさせたブラバムのニキ・ラウダにポールポジションを譲ったものの、予選2位という結果を得ました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


【FILE 80. 1978 Rd.3 SOUTH AFRICAN GP – March.4.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年5月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
アンドレッティのJPS17も、JPS16同様に土曜の決勝時にはコクピット開口部前方のロールフープが大型化されました。FILE.78のJPS16の項でも述べましたが、実際にどのタイミングでこのロールフープの加工がおこなわれたのかは明確には判りません。また長身で元々リア側のロールバーが高くなっているピーターソンの為であればその作業を行った理由も判らなくもありませんが、小柄なアンドレッティのマシンにも同じタイミングで変更が加えられているのにも疑問が残ります。また、これに伴いFILE.79で紹介したコクピットカウルのJohn Player Secialの文字上方に有ったステッカーは消え、その部分から大型化されたロールフープが顔を出しています。またピーターソンのJPS16は決勝時にフロントノーズのオイルクーラーのエアインテーク上方にフィンを追加していますが、アンドレッティのJPS17にはこのフィンは装備されていない模様です。
土曜日の決勝前、オフィシャルのミスからスターティンググリッドの位置をめぐって混乱が発生します。ポールポジションのラウダは本来ストレート先のクローソン・コーナーに対してイン側となる右側にポジションを取る筈でしたが、オフィシャルの手書きによるグリッドではポールが左側と指示されていました。結局最終的に左右を入れ替える形で左側のグリッドからスタートしたアンドレッティは、スタートでギアシフトに失敗したラウダをパスしてトップでクローソン・コーナーへ進入、そしてそのまま得意のスパートを見せて後続を大きく引き離します。しかし17周目を過ぎた辺りからアンドレッティの左フロントタイヤはイン側にブリスターが発生、21周目には地元観衆の声援を受けて走るシェクターにトップの座を明け渡します。その後もタイヤが苦しくなったアンドレッティはラウダ、パトレーゼ、デパイエにもパスされて5位に後退します。しかしFILE.78でも紹介した通り53周目にラウダが、そして60周目にシェクター、64周目にパトレーゼと彼の前を走るドライバーが次々に脱落した為、アンドレッティはデパイエに続く2位までポジションを回復します。そしてレースも残り5周となった74周目、デパイエのエンジンからオイルが噴き始めるとアンドレッティはデパイエとの差を縮め始めましたが、75周目にコース奥のクラブハウス・コーナーの立ち上がりで突然ガス欠により失速、すぐ背後まで迫っていたチームメイトのピーターソンにパスされて3位に後退します。アンドレッティは残り3周で給油の為ピットインを余儀なくされ、しかも既に燃料供給系に空気が入ってしまっていた為にエンジンのリスタートに手間取り、レースに戻った時には既に1周遅れの7位にまで後退しており、そのままチェッカーを受ける事になりました。アンドレッティのガス欠の原因は、ボスのコーリン・チャップマンがレース前、アンドレッティのタイヤへの負担を緩和する為の車重低減を目的として燃料を3ガロン抜く様にメカニックに指示した為とされています。チーム・ロータスのメカニックであったグレン・ウォータースは、「メカニックの間では、通常チャップマンから燃料を抜く様に指示された場合、誤差を考慮して1ガロンは多く残しておく”the mechanic’s gallon”と呼ばれる習慣があったが、今回はチャップマンが直接その作業を監督していた為、正確に3ガロンを抜かざるを得ず、この為にアンドレッティは勝てるレースを落としてしまった」と証言しています(但し1周が短いキャラミと言えど、1ガロンの燃料では残り3周を走り切れたかどうかは疑問)。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・コクピット前方のロールフープを大型化


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/31) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.26 1978 Rd.2 Brazilian GP


今回はアルゼンチンGPから2週間後の1月29日に決勝が行われた1978年ブラジルGPでのロータス78について取り上げます。舞台となるサーキットは前年まで開催されていた首都サンパウロ近郊のインテルラゴスから、カーニバルで有名なリオデジャネイロ近郊のジャカレパグア・サーキットへと移り、以後1990年に改修されたインテルラゴスに戻るまでブラジルGPの舞台となる事になりました。サーキットの特性も大きく変わり、アップダウンが激しい高速コースのインテルラゴスとは対照的にジャカレパグアのコースはほぼフラットで、1kmあるバックストレートと短いホームストレートを除けばツイスティな鋭角コーナーが連続するストップ&ゴータイプのサーキットで、サリスバリー製のデフの効果でコーナーからの立ち上がりに優れるロータス78に有利なサーキットと見られていました。

写真:1978年ブラジルGP決勝(LAP15/63)、バックストレートで5位を争うロニー・ピーターソンのJPS16(左)とジル・ヴィルヌーヴのフェラーリ312T2。2台はこの先のサル・コーナーの進入で接触、共にコースオフを喫してしまう。2人にとっては前年の日本GPに続く因縁の接触となった。(ZDF


【FILE 73. 1978 Rd.2 BRAZILIAN GP – January.27-28.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年4月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初は、ロニー・ピーターソンのJPS16。イラストはプラクティスの状態と思われ、前戦アルゼンチンGPから外観上の差異は殆ど見られませんが、中速サーキットであるジャカレパグアに合わせてリアウィングのエレメントが変更され、非常に曲率が大きくかつガーニーフラップも装備されたハイダウンフォースな物が採用されています。前戦アルゼンチンGPで優勝を上げた事によりウィニング・ローレルの有無が気になる所ですが、写真を見る限り記入されていない様です。またこのレースでピーターソンはニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVを使用した模様です。
ピーターソンは金曜日の最初のセッションで、アルゼンチンでのトラブルから改良を受けたロータス/ゲトラグ製ギアボックスを試すものの、またも早々にトラブルが発生して大きく出遅れてしまいます。午後にはヒューランド製のギアボックスに戻されたものの6位に留まります。しかしセットアップを煮詰めてアンダーステアを解消したピーターソンは土曜日のセッション終了間際にトップタイムを記録、自身にとって1976年オランダGP以来1年半振り、通算13回目のポールポジションを獲得しました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備
・ポーラー・キャラバンのロゴはインダクションボックスのエアインテーク側面に記入(左右共にリア側が頭)
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー後上方に記入


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/10) 新規作成


【FILE 74. 1978 Rd.2 BRAZILIAN GP – January.29.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年4月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらが決勝時のJPS16。注目点はフロントノーズのオイルクーラーのエアインテーク上方にフィンが追加されている点です。アルゼンチンに続く酷暑のコンディションに配慮してか、オイルクーラーに強制的に空気を取り込む様な形状をしています。
決勝を久し振りのポールからスタートしたピーターソンでしたが、スタートでホイールスピンが多かった為、4位スタートからダッシュを決めたフェラーリのカルロス・ロイテマンにパスされて2位に後退、その後もまたしてもアンダーステアに苦しむ事になったピーターソンは瞬く間にロイテマンに引き離され、そして周回が進むにつれマクラーレンのジェームス・ハント、チームメイトのマリオ・アンドレッティ、そして地元観衆の大声援を受けて健闘を見せるコパスカーのエマーソン・フィッティパルディに次々とパスされて5位に後退します。そして15周目、バックストレートでフェラーリのジル・ヴィルヌーヴがピーターソンのスリップストリームを捉えます。ストレートエンドにある高速左コーナーのサル・コーナーの進入ではピーターソンはヴィルヌーヴに先んじたものの、強引にインを突いて来たヴィルヌーヴの右フロントタイヤとピーターソンの左リアタイヤが接触、共にコースオフを喫してしまいます。ヴィルヌーヴに遅れてコースに復帰したピーターソンはタイヤ交換の為にピットイン、コースに復帰しますが、先の接触により左リアサスペンションが既に壊れており、コースアウトを喫したピーターソンはリタイアとなってしまいました。マシンを降りた後もコースサイドに留まり、ヴィルヌーヴに対して抗議の拳を振り上げていたピーターソンは、ピットに戻るとアンドレッティのサインボード係を務めていました。
シーズン開幕前、アンドレッティはピーターソンのチーム復帰を歓迎していなかった事から、2人のドライバー同士の関係がチーム・ロータスの最大の懸念材料と思われていました。しかしチーム内での自分の立場を十分に理解しており、更にアンドレッティのテストやレースにおけるプロフェッショナリズムに大きな感銘を受けたピーターソンは、シーズンが進むにつれアンドレッティへの称賛と敬意を公言する様になります。そして2人のドライバーは共に最高のチームメイトとして協力し合う様になり、この年F1の歴史に残る最強コンビを形成する事になります。

・フロントノーズのオイルクーラー上方にフィンを追加
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備
・ポーラー・キャラバンのロゴはインダクションボックスのエアインテーク側面に記入(左右共にリア側が頭)
・ニコルソン-マクラーレンのロゴはカムカバー後上方に記入


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/10) 新規作成


【FILE 75. 1978 Rd.2 BRAZILIAN GP – January.27-28.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年4月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
マリオ・アンドレッティのJPS17のプラクティスにおける姿。JPS16同様に曲率の大きなリアウィングのエレメントを採用している以外は、ほぼアルゼンチンGPでのレース時に近い姿をしています。同様にリアウィングのウィニング・ローレルも描かれていない様です。また、アンドレッティはこのレースでも引き続きコスワースのスペシャルDFVを使用した模様です。
戦前の予想通り、アンドレッティはこのジャカレパグアでは金曜日から好調でトップタイムをマークします。しかし土曜日のセッションでは一転不運に見舞われてクリアラップを取る事が出来ず、トップタイムをマークしたピーターソンに遅れる事コンマ2秒で予選3位というやや不満足な結果に終わりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/10) 新規作成


【FILE 76. 1978 Rd.2 BRAZILIAN GP – January.29.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年4月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
アンドレッティのJPS17も、決勝時にはJPS16同様、フロントノーズのオイルクーラー上部にフィンが追加され、オイルクーラーの冷却効果を高めています。
決勝を3番手からスタートしたアンドレッティはスタートでロイテマンに先行されましたが、5周目に後退して来たピーターソンとハントをパスして2位に浮上、トップを快走するロイテマンを追います。しかし既にミシュランタイヤのアドバンテージを活かして大きなリードを築いていたロイテマンとの差を詰める事が出来ず、対するグッドイヤーのエースであるアンドレッティはアンダーステアに苦しみ、次第に引き離されて行きます。逆転は不可能と判断したアンドレッティはペースを落として2位キープに切り替えますが、レースも残り7周となった56周目に最も頻繁に使う3速ギアがオーバーヒートにより破損、ギアボックスにトラブルが発生して4速ギアのみでの走行を強いられます。タイトコーナーの立ち上がりは勿論、ストレートスピードも伸びなくなったアンドレッティはペースを大きく落とし、狂喜する地元観衆の大声援に後押しされたフィッティパルディに58周目にパスされて3位に後退、更に61周目にブラバムのニキ・ラウダにもパスされ、結局4位でチェッカーを受けました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのオイルクーラー上方にフィンを追加
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備


<改訂履歴>
・v1.0(2012/08/10) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.25 1978 Rd.1 Argentine GP


前回から約2か月のブランクが有りましたが、Lotus78 History & Markingsの連載再開、そして今回よりいよいよ1978年編へと突入し、1978年1月15日に決勝が行われた開幕戦アルゼンチンGPでのロータス78について取り上げます。チーム・ロータスは前年に引き続きエースを務めるマリオ・アンドレッティと、アロウズへ移籍したグンナー・ニルソン(実際には既に闘病生活に入っており、レースには不参戦)に代わり、約2年振りのチーム復帰となったロニー・ピーターソンというコンビで1978年シーズンに臨む事になりました。チーム・ロータスは既に1977年12月にフランスのポール・リカールにて、後にF1の歴史に残る名車となるロータス79を1978年用マシンとして発表していましたが、79はマシン自体、そして搭載を予定していたゲトラグ社との共同開発となるオリジナル・ギアボックスは共に開発途上にあり実戦で戦えるレベルになっていなかった為、前年型の78で引き続き1978年シーズン序盤を戦う事になりました。
GP開催地となるブエノスアイレス・サーキット(後にオスカー・ガルベス・サーキットと改称)はブエノスアイレス郊外に有る湖を囲む様にレイアウトされたサーキットで、立地上コースはほぼフラット、前半となる湖の周回路はオーバルに近い(但し右回り)超高速区間、そして後半はツイスティな低速区間というレイアウトでしたが、それ以前に治安の悪さで関係者の評判はすこぶる悪く、ブエノスアイレス市街どころかサーキットの中、コースサイドに至るまで武装兵士が絶えず監視しているという異様な雰囲気の中でレースが開催されていました。そしてフォークランド紛争により1981年を最後にF1カレンダーから外れましたが1995年に復活、この時はスタート地点から湖の周回路をショートカットして低速区間のみを使用して行われたものの、やはり関係者の評判は芳しくなく1998年を最後にアルゼンチンでのF1開催は途絶えています。

写真:1978年開幕戦アルゼンチンGP決勝(LAP52/53!)、ポールポジションから独走し、地元アルゼンチン出身でワールド・チャンピオン5回の偉人ファン・マヌエル・ファンジオが振り下ろすチェッカーを受けるマリオ・アンドレッティのJPS17。この直前、ファンジオは周回遅れに近かったロニー・ピーターソンをアンドレッティと勘違いしてチェッカーを振ってしまい、レースは記録上当初の53周より1周少ない52周で終了となったという曰く付きのシーンでもある。前年ランキングこそ3位に終わったものの最多勝(4勝)、最多ポール(7回)、最多リードラップ(279周)を記録したアンドレッティとJPS17の最速コンビは1978年になっても健在で、終始全く後続を寄せ付けず完璧な勝利を飾った。(ZDF


【FILE 69. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.13-14.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初に紹介するのは約2年振りのチーム復帰となったロニー・ピーターソンのレースカーとなったJPS16。前年同郷の後輩であったグンナー・ニルソンはシーズン終盤にはレースカーとしてJPS18を使用しましたが、アンドレッティ同様ピーターソンも軽量化シャシーのJPS18は気に入らず、以後JPS18はスペアカーとして用いられる事になりました。リアウィングにはガーニーフラップが装備され、そしてシーズンが新しくなった事によりウィニング・ローレルが消えており、その他モノコック左側にあったキルスイッチ位置現示マークが無くなっている事も挙げられます。ピーターソンのマシンの特徴として、ロールバーの高さがアンドレッティ用よりも高くなっている事が挙げられますが、しかし前年のニルソン用の物よりもやや背が低く、頂部はインダクションボックスより僅かに高い程度のものとなっています。また、インダクションボックス両脇にはパーソナルスポンサーであるポーラー・キャラバンのホッキョクグマを模したロゴ(左右共に頭がリア向き)が貼付されています。このロゴはJPSカラーではなく、KONIのロゴと同様に金箔となっているのが特徴です。
ピーターソンは金曜日に、冒頭に紹介したロータス/ゲトラグ製の新開発ギアボックスをJPS16に搭載して走行しました。このギアボックスは従来のヒューランド製と比較して非常に軽量・コンパクトで、かつクラッチ操作なしでシフトが可能という特徴を備えていました。また外観上の特徴として、リアのオイルクーラーがウィングステーに沿って垂直に取り付けられています。かつてロータス76(JPS9)でクラッチレス・シフトを経験しているピーターソンはオフからテストを積み重ねていましたが、このギアボックスは繊細でトラブルが多く、金曜のセッションでも総合5番手タイムとまずまずの結果を残しながらも間もなくセレクション系にトラブルが発生、土曜日以後はヒューランド製に戻される事になりました。土曜日は重いヒューランドのギアボックスにセットアップが合わず、グッドイヤーのスペシャルタイヤも繊維剥離してしまうという不運はあったものの3番手にポジションを上げ、決勝に臨む事になりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備
・ポーラー・キャラバンのロゴはインダクションボックスのエアインテーク側面に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


【FILE 70. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.15.1978】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Ronnie Peterson


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらが決勝時のJPS16。最大の特徴として、前年の南アフリカGPで装備されていたラジエーターのエアアウトレット前面のフィンが復活した事が挙げられます。しかし前年の仕様とは若干異なり、フィンの周囲にパーツが張り出しており、その一部がサイドウィング上面のJPSストライプを覆う様になっています。目的としてはラジエーターを通過した空気の抜けを良くし、冷却効率を高める効果、そして僅かながらサイドウィング上面で得られるダウンフォースの増加が考えられますが、何故このタイミングで突然復活したのかは不明です。このフィンはこの後ほぼ標準的に装備される事になります。またエンジンについては、カムカバーにニコルソンのロゴが見当たらない事、コスワースのスペシャルDFVはアンドレッティが使用していたと思われる為、ピーターソンはノーマル仕様のDFVを使用した可能性が高そうです。また余談ながら、ピーターソンのトレードマークであるヘルメットの黄色いヒサシですが、このレースではなぜか青いヒサシが用いられた様です。
決勝を3番手からスタートしたピーターソンでしたが、アンドレッティとは対照的にハードタイヤを選択した事が裏目に出てしまい、土曜日同様にヒューランドのギアボックスにセッティングが合っていない事も相まって酷いアンダーステアに苦しみます。スタートこそロイテマンをパスして2番手に上昇したものの直ぐに抜き返され、やがてワトソン、ラウダのブラバム勢、そしてティレルのパトリック・デパイエにパスされ、徐々にポジションを落として行きます。更にレース中盤を過ぎた頃からコクピット内の熱によりスロットルペダルが過熱、右足に火傷による水脹れが出来てしまい、アクセルオフ時は足を完全にペダルから離しながらのドライビングを強いられます。しかも53周レースも残り1周となりコントロールラインを通過しようとした時、ピーターソンをアンドレッティと勘違いした競技長のファン・マヌエル・ファンジオがピーターソンにチェッカーを振ってしまいます。レースが終了したものと思いペースを落としたピーターソンは、レーシングスピードで迫ってくる後続車に慌てる破目になりますが、レースは52周で終了となり、ピーターソンはチーム復帰戦を5位というリザルトで終える事になりました。

・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備
・ポーラー・キャラバンのロゴはインダクションボックスのエアインテーク側面に記入(左右共にリア側が頭)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


【FILE 71. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.13-14.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
前年に引き続き、マリオ・アンドレッティはJPS17をレースカーとして使用しました。イラストはプラクティスの状態と思われる状態で、興味深いのは右サイドウィング後端部分のJPSストライプが消えている様に見える事です(左サイドは不明)。またフロントウィング翼端板はこれまでJPS17に装備されていた半月型から、ニルソンのJPS16が装備していたのと同様の舟形に改められ、以後シーズンを通じてこの形状が使用される事になります。また、文献には特に記述は無いものの、1978年も引き続きアンドレッティはコスワースのスペシャルDFVをメインで使用した物と思われます。
1月の猛暑に見舞われたアルゼンチンでのアンドレッティは、前年の爆発事故程は酷くはなかったものの金曜からいきなり躓いてしまい、午前はフューエルメータリングユニットのOリング不良によりまともに走れず最下位に沈みます。それでも午後には地元観衆の大声援と新たに参入したミシュランタイヤのサポートを受けたフェラーリのカルロス・ロイテマンに次ぐ2番手のタイムを刻むものの、今度はエンジンがブローしてしまいます。しかし最終的に土曜には、ロイテマンのタイムをコンマ1秒破ってポールポジションを獲得しました。この結果はミシュランに対抗する為にグッドイヤーがトップチームにのみ、各2セットづつ供給したスペシャルタイヤをアンドレッティが上手く活かした事も大きな要因でした。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・右サイドプレート後端部分のJPSストライプ無し(左側は不明)
・リアウィングにガーニーフラップ装備


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


【FILE 72. 1978 Rd.1 ARGENTINE GP – January.15.1978】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1978年3月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらが決勝時のJPS17で、JPS16同様にラジエーターのエアアウトレット前面のフィンが装備されています。また、プラクティス時には消えていた右サイドプレートのJPSストライプは描き直されたのか、この決勝仕様ではハッキリと確認出来ます。
決勝でソフトタイヤをチョイスしたはアンドレッティはポールポジションからスタートを決め、逆にハードタイヤでペースが上がらないロイテマンをみるみる引き離し、序盤にして早くも10秒以上のリードを築きます。レース中盤に入って左フロントタイヤにブリスターが発生したアンドレッティは、2位を走行するブラバムのジョン・ワトソンとの10秒のギャップを保ちながら、タイヤを労わりながらの走行を強いられます。しかしアンドレッティは結局フィニッシュまで全くテールを脅かされる事が無いまま、最終的に2位となったブラバムのニキ・ラウダに13秒もの大差を付けてフィニッシュ、独走で開幕戦勝利を挙げました。このアンドレッティの独走ぶりは、マクラーレンのジェームス・ハントが、78/1を譲渡されたメキシコ人ドライバー、ヘクター・レバークを引き合いにして、「俺にもロータス78を1台譲ってくれ!」とコメントした程でした。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・ラジエーターのエアアウトレット前面にフィンを追加。
・右側キルスイッチ位置現示マークなし
・リアウィングにガーニーフラップ装備


<改訂履歴>
・v1.0(2012/07/28) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


1/20ロータス102製作 – Vol.5


1/20ロータス102製作記、今回は最終回になりますが、デカール貼り、各部パーツの組み付け、そして仕上げについて説明します。


ボディ、ウィングと各パーツにデカールを貼り、クリアーを掛ける。5日間程度乾燥させた後、1500~2000番のペーパーとコンパウンドで研ぎ出しを行う。クリアーにはGSIの水性トップコートを愛用している。乾燥の速さと塗膜の固さでは他に劣るものの、何より塗装とデカールを傷める心配ゼロという安心感、そして毒性も臭いも少ないのがメリット。因みに何処かの本に本品は研ぎ出しが出来ないという記述があったが、ご覧の通り鏡面に近い仕上がりになる。但し欠点として、暫く指で触っていると指紋が付いてしまうので、その際はその部分を再度研ぎ出しする。


表面のキャメルイエローとコクピット内部の塗り分けはマスキングでは難しいので、カーボンデカールを塗り分けラインに合わせて貼り付けた。ついでにコクピット内部全体にカーボンデカールを貼り付ける。貼り終えたらインパネを上部に接着する。写真では判らないが、キットの102B仕様インパネに付いている半円形のアナログメーターは不要なので適当に削り取っておく。


個人的にいつまで経っても苦手なのが、このOZ製ホイールのリム部分のデカール。上手く円形に貼るのに苦労してしまうが、マークセッターを使いながら今回も何とか貼り終えた。因みに今回使用したSHUNKO製のデカールは黄色の発色がイマイチだったのと、写真では右側のスポークに貼られるチームロゴが大文字の「LOTUS」に見えた(字が小さいので実際には違うかも知れない。正しくは「Lotus」)ので、ここだけはストックしていたSTUDIO27製のデカールを使用。


タイヤは400~600のペーパーでトレッド表面のパーティングラインを消してホイールに装着した上でデカールを貼る。この時に見栄えを考慮してホイールと共にロゴがキチンと上下に来る様に揃えてやる。


以前説明した通り、フロントサスペンションはベースキットのパーツをほぼ無加工で取り付けられるので、ここは非常にスムーズに作業が進む。


これも以前に触れた通りだが、ステアリングロッドの取付位置は102Bと異なる為、ベースキットのパーツをそのまま取り付けるとステアリングロッドがやや曲がった状態になってしまう。この為、ステアリングロッドの付根部分の角度を、パーツを破損しない様に注意しながら少しづつ修正してやる。


シートベルトはミュージアムコレクション製の物を使用。但し1/18スケールと共用のせいか、全体的にややオーバースケールの感がある。パッド部分にはデカールをマークセッターを使いながら貼り付ける。


アンダートレイのエキゾーストパイプが乗る部分にアルミ箔を貼り、エンジン及びリアサスペンション部分のパーツをアンダートレイに接着する。この時、リアサスペンションのアップライトが前後左右・垂直水平方向共に真っ直ぐになる様に注意する。接着後、エキゾーストパイプをエンジン及びアンダートレイに接着する。


コクピット内にシート、シフトリンケージ、ステアリングを接着し、サイドポンツーン内にはラジエーターとダクト用フェンスを取り付けた上でボディとアンダートレイを接着。そしてフロント及びリアウィングを、これもまた垂直水平方向に注意しながら取り付ける。


タイヤをアップライトにネジ留めした後、ディスプレイケースに固定する。この時、タイヤロゴのポジジョンを調整しながら位置決めする。また、特にフロントサスペンションはアップライトに変なキャンバーが付いてしまう場合がある(今回は少し左側がネガティブに行ってしまった)ので、これもこの時に少しホイールを緩めて調整した。因みにケースはウェーブ製T-CASEのLサイズを使用。タミヤ製よりも一回り大きいのがポイント。最後にミラーと、(この写真には写っていないが)キルスイッチ、アンテナ取り付ける。キルスイッチはSTUDIO27のエッチングパーツを赤く塗装してロールバーへ左側へ開けた穴へ差し込み、アンテナは同じくSTUDIO27のウィリアムズFW16用の物をフロントノーズ後方とコクピット左側開口部の脇へ差し込む。

これで遂に1/20ロータス102の完成…と、言いたかったのが…

…実は製作も終盤に入って気が付いたのだが、リアサスペンションのアッパーアームとプッシュロッドのレイアウトが、102仕様とキットの102B仕様では異なっているという事実が判明してしまった。写真はレストアされた102のリアサスペンションだが、102B仕様ではプッシュロッドとダンパーはアッパーアームのV字の間にレイアウトされているのが、この102仕様ではアッパーアームの前方(エンジンとの間)にレイアウトされているのが判る。恐らく空力最重視の102ではサスペンションの機械効率よりもギアボックス部分の障害物を排して細くレイアウト出来るメリットが重視されたのだろう。ここの部分は時間的問題により修正出来ず、次回製作する機会に持ち越し?になってしまった。

以上、5回に渡って紹介した1/20ロータス102製作記は今回で終了です。

– END –


1/20ロータス102製作 – Vol.4


1/20ロータス102製作、前回はボディの修正まで完了しましたが、今回は塗装、そしてパーツの組立に入って行きます。


前回ホワイトサーフェーサーを吹いた各パーツを塗装する。使用するのは勿論、タミヤTS-34キャメルイエロー。尚この段階ではまだロールバーはボディに接着しないでおく。因みに写真右手前にある3枚のウィングエレメントの内1枚(真ん中)はロワー側になり、実際にはセミグロスブラックだった模様。後から一旦落として塗り直す事になってしまった。


これまでの99T~101に至るキャメルイエローのロータス達と異なり、この102ではフロントとリアの翼端板は裏側がカーボン地のままとなっているので、これに従ってセミグロスブラックに塗装しておく。


アンダートレイの内、両サイドのラジエータダクト内部は、前縁部分を除いてボディ同様キャメルイエローに塗装されていた様なので、その部分を予め吹いておく。


以前言及したが、キットのカウル後端部分を斜めに切り取り、アンダートレイ側に接着してしまう。更にこの部分は、1990年シーズン途中からカウルとアンダートレイの接続面が垂直になっていたものを、カウル状のパーツを使用して緩やかに整形している(パットマン・ディフューザーと同様の発想で、コークボトル部分の気流をスムーズにする狙いか?)ので、エポキシパテを使って後端のエッジ部分を除いて全体的に緩やかな面を構成する様に変更しておく。


塗装したボディからシンナーが抜けるのを待つ間に、エンジン/トランスミッション/リアサスペンション部分の組立。基本的にはマニュアルの指示に従ってベースキットのパーツを組み付けて行くだけだが、やはりここも事前の擦り合わせが必要。因みにロワアームのフロント側ピックアップポイント(赤○部分)は、アーム先端のスナップが入る部分のモールドが埋まってしまっているので、塗装前にドリルで開穴しておく必要がある。それ以外は特に問題無くベースキットのアーム類を使用して問題無くリアのアップライト組立までが終了する。


ところが、アンダートレイ中央に入っている固定用のガイドに完成したギアボックスのパーツ差し込んでみたところ、随分と右方向に曲がって取り付けられてしまう事が判明(ディフューザー側からみると、ギアボックス後端が左に寄っている)。この為、ガイドは前端部分を除いてむしり取った上で、エンジン/ギアボックスをアンダートレイに固定する際には、慎重に位置を調整する必要が出てしまった。


アンダートレイの塗装が完了した状態。中心に走っていたエンジン/ギアボックス固定用のガイドをむしり取った状態がお分かり頂けるか。またこの時に、ディスプレイケースに固定する為の穴を開けておく。

今回はここまで。次回はいよいよデカール貼付、そしてコクピット等の装備の工作に入ります。


– END –