今回はホッケンハイムで行われた1977年第11戦西ドイツGP(7月31日決勝)でのロータス78について取り上げます。前回のシルバーストーン同様、ホッケンハイムも2001年のGPを最後に大改修を受けて大きくその性格を変えましたが、1977年当時は第一コーナーからスタジアムセクションに至るまでほぼ半楕円形で、行きと戻りのストレートに2つの緩いシケインがあるのみの超高速コースでした。超低速のスタジアムセクションのお陰で平均速度はシルバーストーンよりも低いものの、エンジンの全開時間は1周全体の60%以上に及ぶ、非常にエンジンに過酷なサーキットでした。コーナリングマシンであるロータス78は、スタジアムセクションで抜群の速さを見せたものの、トップスピードの不足は如何ともし難く、前戦同様にこのレースでも苦戦を強いられました。
写真:1977年西ドイツGP決勝(LAP34/47)、スタジアムセクション入口のアジップ・カーブでリタイアしたマリオ・アンドレッティとJPS17(手前)。左は22周目にリタイアしたパトリック・デパイエのティレルP34と31周目にリタイアしたグンナー・ニルソンのJPS18。原因は3台ともエンジン・トラブルで、このレースでは完走は24台中10台、内6台(9位完走扱いとなったティレルのロニー・ピーターソンを含む)がエンジン・トラブルと、改めてサーキットの過酷さを示す結果となった。(ZDF)
【FILE 46.1977 Rd.11 GERMAN GP – July.29-30.1977】 v1.1
JPS16(78/2) Driver: Gunnar Nilsson
参考資料:
・AutoSport 1977年10月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」

ニルソンはトップスピードの不足に悩みながらも金曜のセッションでは6~7番手に着け、今回もトラブル続きだったマリオ・アンドレッティよりも順調にセッションをこなしましたが、土曜の最終セッションでエンジンがブローし、スペアカーのJPS18に乗り換えたものの最終的には9番手のグリッドとなりました。しかし日曜のレースに向けてエンジンを積み替えようとしたところ、エンジンのマウント部分にクラックが入っている事が判明した為、ニルソンはスペアカーのJPS18(※)でレースに臨む事になりました。
※ニルソンがレースで使用したマシンに関して、資料によってJPS16とするものとJPS18とするものが混在しています。筆者の参考文献でもJohn Typler著「Lotus 78 & 79 – The Ground-Effect Cars」ではJPS16、Bruce Grant-Braham著「Lotus – A Fomula One Team Hsitory」ではJPS18としており、見解が分かれています。本稿では上記AutoSport誌/Jeff Hutchinson氏のレポートを根拠に、JPS18がレースで使われたとしておきます。
<外観上の特徴>
・JPSロゴ無し
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側NGKロゴ上部に「E」マーク追加
・リアウィング上面のウイニング・ローレル無し
<改訂履歴>
・v1.0(2012/02/10) 新規作成
・v1.1(2012/03/05) 車検合格証のステッカーに関する記述を追加
【FILE 47.1977 Rd.11 GERMAN GP – July.29-31.1977】 v1.1
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti
参考資料:
・AutoSport 1977年10月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」

アンドレッティはホッケンハイムでも本調子とは程遠く、金曜午前はハンドリング不調に悩まされた上、縁石を乗り越えた際にサスペンションにダメージを与えてしまいます。チームは徹夜でマシンの修復とチェックを行った結果、コーナーウェイトを調整して土曜日のセッションに臨みましたが、今度はベルハウジング・ケーシングにクラックが入ってしまい、結局予選結果は7位に留まりました。レースではスタートで7位をキープしたものの、やはりトップスピードの不足に悩まされてトップグループのバトルに全く付いて行けず、6位を走るフェラーリのカルロス・ロイテマンとのバトルを延々と展開する事になります。スタジアム・セクションでは圧倒的なスピードでロイテマンに迫るものの、ストレートでは12気筒パワーのフェラーリに瞬く間に引き離されるという繰り返しの結果、アンドレッティのスペシャルDFVは34周目に息絶えてリタイアとなりました。このレースではポイントリーダーであったフェラーリのニキ・ラウダが優勝したため、脇役にもなれずに連続ノーポイントに終わったアンドレッティはタイトル争いでラウダに大きく引き離される事になりました。
<外観上の特徴>
・JPSロゴ無し
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィングにガーニーフラップ追加
・フロントウィング翼端板は半月形タイプ
・コクピットカウル前部に赤ステッカー添付
・右側NGKロゴ上部に「E」マーク追加
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)
<改訂履歴>
・v1.0(2012/02/10) 新規作成
・v1.1(2012/03/05) 車検合格証のステッカーに関する記述を修正
【FILE 48.1977 Rd.11 GERMAN GP – July.30.1977】 v1.1
JPS18(78/4) Driver: Gunnar Nilsson
参考資料:
・AutoSport 1977年10月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」

<外観上の特徴>
・JPSロゴ無し
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・左側サイドウィングのカーナンバーはフロントノーズ用を代用(右側は推定)
・フロントウィング翼端板はやや丸い舟形タイプ
・右側NGKロゴ上部に「E」マーク追加
・ドライバー名なし
・ロールバーはアンドレッティ用の背の低いタイプ
・インダクションボックスのKONIロゴなし(推定)
・リアウィング上面のウイニング・ローレル無し
<改訂履歴>
・v1.0(2012/1/20) 新規作成
・v1.1(2012/03/05) 車検合格証のステッカーに関する記述を追加
【FILE 49.1977 Rd.11 GERMAN GP – July.31.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Gunnar Nilsson
参考資料:
・AutoSport 1977年10月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」

このレースで予選9番手だったニルソンはスタートでポジションを1つ上げ、チームメイトのアンドレッティに続く8番手に着けましたが、オープニングラップの戻りのストレートでエンサインのパトリック・タンベイ、サーティースのヴィットリオ・ブランビッラ、マクラーレンのヨッヘン・マスに次々とパスされて11位にまで後退します。その後もアンドレッティ同様にペースを上げられないまま、31周目にアンドレッティ同様にエンジンが壊れ、リタイアとなってしまいました。
この頃、ベルギーでの初優勝や上位入賞により注目を集める存在となったニルソンは、シャドウと翌1978年シーズンの契約を交わし(その後シャドウから分裂したアロウズが、契約をさらう)、その後釜として同郷の先輩であるロニー・ピーターソンのチーム・ロータスへの復帰が濃厚となっていました。ニルソンはエースドライバーとして更なる飛躍が期待されましたが、しかしこの時、既に彼の身体は癌に侵され始めていました。
<外観上の特徴>
・JPSロゴ無し
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・左側サイドウィングのカーナンバーはフロントノーズ用を代用(右側は標準タイプ)
・右側NGKロゴ上部に「E」マーク追加
・リアウィング上面のウイニング・ローレル無し
<改訂履歴>
・v1.0(2012/02/20) 新規作成
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