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Lotus78 History & Markings – Vol.23 1977 Rd.16 Canadian GP


今回は前週のUSGPイーストから連続開催となった1977年第16戦カナダGP(10月9日決勝)でのロータス78について取り上げます。F1サーカスはワトキンス・グレンからそのまま陸路開催地であるカナダのオンタリオ州トロント近郊にあるモスポート・パークへ移動しましたが、このモスポートは特に安全面で関係者の評判が悪く、特にこの1977年は様々な問題が噴出します。コース自体は前戦のワトキンス・グレンやオーストリアのオステルライヒリンクに比較的類似したアップダウンの激しい高速コースでしたが、路面の舗装が悪くバンピーで、かつガードレールが十分に整備されておらず、マーシャルの数も予定されていた211名の半分にも満たない95名しかおらず、更に負傷者を搬送する為のヘリコプターも無い状態でした。そしてその懸念は現実のものとなり、金曜日のプラクティスでヘスケスのイアン・アシュレイがコースのバンプを乗り越えた際にコントロールを失い、ガードレールを飛び越えてその先のTV塔に激突するアクシデントが発生、アシュレイは一命を取り留めたものの脚と手首の骨を折る重傷を負い、1985年にアメリカのCARTに参戦するまでの長期間トップカテゴリーから遠ざかる事になりました。しかもこの時アシュレイをマシンから救出するのに40分もの時間を要し、更に病院へ搬送する為のヘリコプターがサーキットに到着するまで更に30分もの時間を要してしまいます。これを受けてドライバー達は出走拒否を示唆、結局急遽ガードレールの整備とヘリコプターが常駐する事になり、ようやく事態は収拾を見ました。しかしこの事もあってかカナダGPは翌1978年から、現在に至るまでカナダGPの開催地となっているケベック州モントリオールにあるノートルダム島に設けられたコース(1982年のジル・ヴィルヌーヴ死後、彼の名前が命名される)に移動する事になります。

写真:1977年カナダGP決勝(LAP2/80)、ポールポジションからスタートし、ジェームス・ハントのマクラーレンM26をリードするマリオ・アンドレッティのJPS17。前戦ワトキンス・グレンに引き続き展開された2人のバトルは、他の全車を周回遅れにしてしまう程の激しさを見せたが、思いもよらぬアクシデントによりハントは脱落、そしてアンドレッティも勝利を目前に脱落を強いられ、2人ともチェッカーを受ける事なくレースを終える事になる。(Motors TV


【FILE 64. 1977 Rd.16 CANADIAN GP – October.7-9.1977】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年12月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
今回も最初に紹介するのはマリオ・アンドレッティのレースカーJPS17。前戦USGPイーストからの連戦という事もあり殆どモディファイは見られませんが、唯一リアウィングのフラップが、前戦のガーニーフラップ状の物から、JPS18と同様にJohn Player Specialの上部1/5程度の面積を持った、やや大きな物に変更されています。また、このレースでもアンドレッティはコスワースのスペシャルDFVを使用しました。
アンドレッティはカナダでは再び速さを見せ、金曜日のプラクティスからマクラーレンのジェームス・ハントを1秒以上引き離してトップに立ち、最終的にもハントに対してコンマ5秒以上の差を付けてポールポジションを獲得しました。レースでもスタートでトップをキープしてハントを引き離そうとしますが、ハントは必死に食い下がってアンドレッティのテールから離れず、両者は後続グループとは段違いの速さでバトルを展開していきます。そしてレースも終盤を迎えつつあった60周目、2人は3位を走っていたハントのチームメイトであるヨッヘン・マスのテールに迫り、全車を周回遅れにしようとします。しかしマスはセカンドドライバーの当然の務めとしてアンドレッティをブロック、これが功を奏して61周目のヘアピンコーナーでコースオフしかけたアンドレッティをハントがパス、トップに浮上します。しかしハントのリードは束の間で、翌62周目のターン3でマスはハントに進路を譲ろうとした際、同じ方向に進路を変えていたハントと接触、ハントはキャッチフェンスにクラッシュしてリタイア、マスもスピンという最悪の結果となります(マシンを降りた後もコースに留まり、マスに対して抗議の拳を振っていたハントは、コースから退去する様に指示したマーシャルを殴って2,750ドルの罰金を科される)。これによってリードを奪回したアンドレッティは独走状態となり、エンジン回転数を9,500回転にセーブ、そして縁石も踏まない様にして安全にマシンをチェッカーまで運ぶだけとなりました。しかしレースも残り3周となった77周目にコスワースのスペシャルDFVはまたもブロー、今季5度目のエンジンブローでのリタイア(記録上9位完走扱い)となりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は半月形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィングに追加フラップ装備
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP、イタリアGP:計5個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/05/03) 新規作成


【FILE 65. 1977 Rd.16 CANADIAN GP – October.7-9.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Gunnar Nilsson


参考資料:
・AutoSport 1977年12月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
前戦に引き続きグンナー・ニルソンのレースカーとなったJPS18。前戦ワトキンス・グレンから外見上の変更点は殆ど無く、リアウィングの追加フラップも同じ仕様となっています。
前戦ワトキンス・グレンでクラッシュしたJPS18は連戦という事もあり時間が取れず、修復こそ成ったもののトーインやキャンバーといったサスペンションのイニシャルセッティングも出来ていない状態でモスポートに到着します。しかしニルソンはモスポートではアンドレッティ同様に好調で、タイムはアンドレッティから1.6秒遅れたものの、フロントローを占めたアンドレッティとハント、そして前戦でニアミスからひと悶着を起こしたティレルのロニー・ピーターソンに次ぐ4位のグリッドを獲得しました。しかしレースでは不運に見舞われ、スタートでこそピーターソンをパスして3位に順位を上げたものの、間もなくマスとティレルのパトリック・デパイエにパスされて5位に後退します。そして18周目にニルソンのJPS18はスロットルケーブルがスタック、マシンのフロントからクラッシュしてリタイアとなり、イギリスGPでの3位表彰台以来完全に運に見放されたニルソンは、これで6戦連続のリタイアとなりました。
カナダGPの後、アンドレッティとニルソンは再びアメリカへ戻り、10月15・16日にカリフォルニア州リバーサイド・レースウェイで行われたIROC(Internationl Race of Champions)第2・3戦に、ジャッキー・イクスと共にF1代表として参戦しました(第1戦は9月17日にミシガン・スピードウェイで開催)。アル・アンサー、リチャード・ぺティ、ジョニー・ラザフォード等のNASCAR、IMSA、USAC(後のインディーカーシリーズ)を代表するアメリカン・レーシングの強者達とシボレー・カマロのワンメイクで戦うこのシリーズでアンドレッティは7位-4位-2位、ニルソンは5位-6位-6位という結果を残し、翌週の日本GPへと向かいました。またニルソンは翌1978年シャドウから分裂したアロウズのエースドライバーに就く事が明らかになりましたが、同時にこの頃から彼の身体を蝕んでいた癌が次第に症状を現し始めていました。しかしそれがやがて自身の生命を奪うまでに至るとは、この時ニルソン自身は想像していませんでした。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィングに追加フラップ装備
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP、イタリアGP:計5個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/05/03) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.22 1977 Rd.15 U.S.GP East


今回はアメリカ、ニューヨーク州郊外のワトキンス・グレンで行われた1977年第15戦USGPイースト(10月2日決勝)でのロータス78について取り上げます。ワトキンス・グレンでは1961年からF1をアメリカGPとして開催して来ましたが、1976年よりカリフォルニア州ロングビーチでもF1が開催される様になり、ワトキンス・グレンではUSGPイースト、ロングビーチではUSGPウエストという名称が用いられました。ストリートコースのロングビーチとは対照的に、このワトキンス・グレンは郊外の丘陵地帯に設けられており、起伏が激しく、また長いストレートや高速コーナーを多く配したレイアウトとなっていました。1980年を最後にF1のレースは行われなくなりましたが、現在でもほぼ同じレイアウトを保ったまま、インディやNASCARのレースが開催されています。1977年のロングビーチを制し、アメリカ人ドライバーとして初の母国優勝を達成したマリオ・アンドレッティにとっては、1968年にロータス49でデビュー戦ポールポジションという快挙(※)を達成した地でもあるワトキンス・グレンでも是非優勝をと意気込んでおり、アメリカの観客もまたアンドレッティの優勝への期待を胸にサーキットに集結しました。
※アンドレッティはその前の1968年イタリアGPで予選に出走しており(予選終了後にアメリカに戻ってレースに参戦した為、レース後24時間以内に複数レースへの出走を禁じたルールにより、決勝への出走を認められず)、アメリカGPは記録上デビュー戦ポールポジションですが、実質的には2度目のF1参戦となります。

写真:1977年USGPイースト決勝(LAP59/59)、ファイナルラップでジェームス・ハントのマクラーレンM26を猛追するマリオ・アンドレッティのJPS17。路面がウェットからドライに変化する中、タイヤが苦しくなったハントを必死に追い上げたアンドレッティだったが僅かに及ばず、シーズン2度目の母国アメリカでの優勝は成らなかった。(ZDF


【FILE 62. 1977 Rd.15 U.S.GP EAST – September.30-October.2.1977】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年12月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
最初に紹介するのは、マリオ・アンドレッティのレースカーJPS17。前回イタリアGPの優勝を受けて、リアウィングのウィニング・ローレルが一つ増えて5つとなりました。またコーナーが多くアップダウンの激しいワトキンス・グレンに対応して、リアウィングにフラップが追加されていますが、しかしシーズン中盤までに用いられた大型のものではなく、丁度ガーニーフラップと言える程度の小さな物となっています。マーキング面では、イタリアGPでは消えていたモノコック右側のキルスイッチ現示位置のステッカーが復活していますが、オランダGP時よりもやや上方に貼付されているのが特徴です。
アンドレッティはのJPS17は好調だったイタリアGPの時から一転、このワトキンス・グレンでは地元ファンの期待に反してセットアップに苦しみます。コスワースのスペシャルDFVは今回も好調だったにもかかわらずストレートスピードが伸びず、予選では期待外れの4番手に終わります。雨に見舞われた決勝では予選2位から飛び出したブラバムのハンス-ヨアヒム・シュトゥック、ポールポジションだったマクラーレンのジェームス・ハントに続く3番手に着けましたが、アンドレッティはリアタイヤのバランスが悪く苦しい走行を強いられ、トップ2台のバトルから引き離されて行きます。そして15周目にシュトゥックがギアボックスのトラブルからスピン、クラッシュして脱落するとハントは独走態勢に入りましたが、レース終盤に雨が上がって路面が乾き始め、残り10周を切った頃からハントのペースは急激に落ち始めます。これを受けて逆にアンドレッティはペースを上げ、地元ファンの声援を受けて一時20秒程度あった差を1周1.5~2秒程度速いペースで瞬く間に詰めて行きます。しかし結局僅かに及ばず、ハントがアンドレッティを約2秒の差で振り切って優勝、アンドレッティは母国GPを悔しい2位で終える事になりました。そしてこのレースでも堅実に4位で走り切ったフェラーリのニキ・ラウダが、シーズン2戦を残して自身2度目のタイトルを獲得しました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は半月形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィングにガーニーフラップ装備
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP、イタリアGP:計5個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/04/22) 新規作成


【FILE 63. 1977 Rd.15 U.S.GP EAST – September.30-October.2.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Gunnar Nilsson


参考資料:
・AutoSport 1977年12月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
このレースからグンナー・ニルソンのレースカーはJPS18に変更され、開幕戦アルゼンチンGPより使用されてきたJPS16は、ドイツGPでエンジンマウントにクラックが入る等の疲労が蓄積されて来た事から、このレースよりスペアカーに回る事になりました。外見上の特徴として、アンドレッティのJPS17ではガーニーフラップ状だったリアウィングの追加フラップは、John Player Specialの文字の上部1/5程度の面積を持った、やや大きな物となっています。また、ウィニング・ローレルはJPS17同様に一つ増えて5個になっています。
ニルソンはこのワトキンス・グレンでも調子は今一つで、プラクティスで大きな問題は無かったものの、アンドレッティから約1秒遅れで予選12位という結果に終わりました。レースがスタートすると、サーティースのヴィットリオ・ブランビッラとティレルのパトリック・デパイエをパスして10位にポジションを上げます。その後シャドウのアラン・ジョーンズやエンサインのクレイ・レガツォーニにパスされるものの、そのジョーンズやブラバムのジョン・ワトソンとシュトゥック、リジェのジャック・ラフィーらの脱落や後退等もあり、7位を走るティレルのロニー・ピーターソンのテールに迫ります。一方ピーターソンはこのレースでかなりラフなドライビングを展開しており、序盤にして既にジョーンズのクラッシュやラフィーの後退という被害を引き起こしていました。ニルソンは17周目にコース後半のシュートコーナーでピーターソンのインに並びかけ、次のヒールコーナーでアウトからオーバーテイクを掛けようとしましたが、ピーターソンはニルソンに対してアウト側へ幅寄せした為、マシンの左半分を雨に濡れたグリーンに落としたニルソンはスピン、そのままガードレールにクラッシュしてリタイアとなりました。普段は同郷の先輩であり、面倒を見てくれていたピーターソンと常に良好な関係を持っていたニルソンでしたが、この時ばかりはピーターソンに対して怒りを露わにしてレース後に強く抗議しましたが、何とかその場で事態は収拾、最後には和解してサーキットを後にしました。
この週末の直前、そのピーターソンのマネージャーであるスタファン・スヴェンビーは、パーソナルスポンサーを引き連れてチーム・ロータスのボスであるコーリン・チャップマンとミーティングを持ち、ピーターソンのチーム復帰は決定的な状況となっていました。エースとしての待遇を約束されていたとは言え、アンドレッティはチームメイトとして理想的・献身的な弟子だったニルソンの代わりに、天性の速さを持ち自分を脅かす存在となり得るピーターソンが加入する事態を歓迎しておらず、「プリマ・ドンナは一人しか要らない」と不快感を示していました。この時アンドレッティは翌年ピーターソンと共にF1史上に残る最強チームを形成する事になるとは予想していませんでいた。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィングに追加フラップ装備
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP、イタリアGP:計5個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/04/22) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.21 1977 Rd.14 Italian GP


今回は伝統のモンツァで行われた1977年第14戦イタリアGP(9月11日決勝)でのロータス78について取り上げます。モンツァは1994年にコース奥のレズモ・コーナーが若干改修され、そして2001年には多くのドラマの舞台となって来た第1シケインのレッティフィーロと第2シケインのロッジアが改修されましたが、それでもシルバーストーンやホッケンハイムと異なり、現在も比較的当時のレイアウトを多く残しており、世界屈指の高速サーキットという特性は変わっていません。この時代は例年このイタリアGPがヨーロッパでの最後のレースとなっており、この為各チームやドライバーはこのモンツァで来季の体制や移籍先を発表する場所でもありました。この1977年はタイトル獲得を目前にしていたニキ・ラウダがフェラーリを離脱、来季はブラバムへ移籍するというショッキングなニュースがレースウィーク直前に駆け巡り、イタリア中が騒然となります。そして観客席ではラウダに対しては歓声とブーイングが乱れ飛ぶ一方、サーキットの広告看板が観客がよじ登った為に倒壊して死亡者が出るなど、混乱した雰囲気の中で決勝レースが行われました。

写真:1977年イタリアGP決勝(LAP15/52頃)、ウルフのジョディ・シェクターをパスしてトップに立ち、シーズン4勝目へ向けてアスカリ・シケインを走行するマリオ・アンドレッティのJPS17。イタリア領に生まれ、移民としてイタリア各地を転々とし、15歳の時にアメリカへ移り住んだアンドレッティにとって、ロングビーチでの優勝に続くもう一つの母国優勝となった。FILE.60で説明する通り、スペアカーのJPS18用と思われるフロントノーズを使用しており、カーナンバーの書体とフロントウィングの形状が通常タイプと異なっている。(British Racing Green)


【FILE 58. 1977 Rd.14 ITALIAN GP – September.9-11.1977】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Gunnar Nilsson


参考資料:
・AutoSport 1977年11月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
前回オランダGPではスペアカーのJPS18をレースで使用したニルソンでしたが、このイタリアGPでは通常通りJPS16をレースカーとして使用しました。外見上の仕様としてはオーストリアGP時とほぼ同一の仕様で、高速サーキットであるモンツァ用に低ドラッグのウィングエレメントを使用している以外、外見上の相違点は見受けられません。
ニルソンはこのイタリアでは全くの不調で、金曜日は固めのサスペンションセッティングをトライしたのが完全に裏目に出てハンドリング不調に苦しみます。それでも土曜日にはタイムを2秒近く更新したものの逆にポジションはダウンして結局19位という今シーズン最低の予選結果に沈みました。その土曜日にはラウダが最終パラボリカ・コーナーでニルソンをアウトからパス、手を振って走り去ったもののスピンしてクラッシュ、その後現場を通りかかったニルソンはラウダに手を振り返すというハプニングもありました。しかしレースでもニルソンは全く良い所無く、僅か5周目にルノーのジャン-ピエール・ジャブイーユと接触、サスペンションを壊してリタイアとなりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/04/09) 新規作成


【FILE 59. 1977 Rd.14 ITALIAN GP – September.9-11.1977】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年11月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
このイタリアでもマリオ・アンドレッティのレースカーとなったJPS17で、日曜日の決勝直前までの姿です。JPS16と同じくリアウィングのエレメントが高速サーキット用になっている以外はほぼ前戦オランダGPと同一ですが、モノコック右側のキルスイッチ現示位置マークがこのレースでは貼付されていない(以前の「E」マークも無し)のが注意点です。
イギリスGP以来度重なるエンジンブローに苦しめられているチーム・ロータスは、このイタリアGPのプラクティスではアンドレッティ、ニルソン共にノーマル仕様、470馬力のDFVを使用します。しかしそれにも拘わらずアンドレッティのJPS17は好調で、プラクティスをトラブルフリーでこなして予選3位を獲得しました。レースでは同じJPS17が使用されますが、フロントノーズが交換されてFILE.60の姿となって決勝を走ります。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は半月形タイプ
・右側キルスイッチのマーク無し
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/04/09) 新規作成


【FILE 60. 1977 Rd.14 ITALIAN GP – September.11.1977】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年11月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらが9月11日の決勝を走ったJPS17の姿。決勝に向けてコースインする際にはFILE.59で紹介した通常のJPS17と同じカーナンバーとフロントウィング翼端板の形状であった事が確認出来ていますが、決勝スタート迄の間に何らかの理由でフロントノーズをスペアカーであるJPS18の物と交換したものと思われ、フロントノーズ上のカーナンバーが通常両サイドウィングに使用されている書体が用いられています。またイラストでは再現していませんが、決勝走行時にはカーナンバー5の上部に何やらカウルの稜線に沿った白い模様が見られます。詳細は不明ですがグリッド上での写真ではこの模様は見られない為これはマーキングの類ではなく、恐らくフロントノーズ交換時にノーズとコクピットカウルの隙間を埋める為のテーピングが走行風で一部剥がれ、白い糊面が露出したのではないかと想像されます。
アンドレッティはレースではコスワースのスペシャルDFVを使用する事になりますが、エンジンブローの連続という事態を受けてアンドレッティがフェラーリに移籍するという噂が流れる中、コスワースもこのレースに向けてエンジンをモディファイして臨みました。アンドレッティは予選4位スタートだったウルフのジョディ・シェクターと予選8位からロケットスタートを決めたエンサインのクレイ・レガツォーニに抜かれたものの、ポールポジションだったフェラーリのカルロス・ロイテマンをパスして4位に着け、2周目にマクラーレンのジェームス・ハントをパス、更にレガツォーニもパスして2位に浮上すると、トップを走るシェクターの後を追います。アンドレッティは落ち着いてシェクターを追い詰めると10周目のパラボリカ・コーナーでアウトからパス、トップに浮上します。その後24周目にシェクターがエンジンブローでリタイアすると独走状態となり、更にラウダが2位に浮上した事で、モンツァはタイトルに王手を掛けたラウダへの声援と、そして来季アンドレッティのフェラーリ入りを期待する観衆の大歓声に包まれます。アンドレッティはトップに浮上した後はひたすらエンジンを労わった走りを心がけたものの、結局ラウダに17秒の大差を付けて優勝、今季4勝目を挙げました。
モンツァで声援を送ったイタリアの観客の期待に反し、アンドレッティはチーム・ロータスとの契約延長に気持が傾きましたが、唯一の懸念は既にシャドウとサインを交わしたニルソンの後任にロニー・ピーターソンが就く可能性が高まっている状況の中、2人のトップドライバーをチームがサポート出来るのかという疑問でした。しかしアンドレッティをチームに不可欠の存在であると考えたボスのコーリン・チャップマンは、アンドレッティに対して来季のエースドライバーのポジションとサポートを確約し、これによってアンドレッティは最終的にチーム・ロータスとの契約延長を決断する事になりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、サイドに用いられているのと同じ書体
・フロントウィング翼端板はやや丸い舟形タイプ
・右側キルスイッチのマーク無し
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/04/09) 新規作成


【FILE 61. 1977 Rd.14 ITALIAN GP – September.9-10.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年11月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらはアンドレッティがプラクティスで使用したスペアカーのJPS18。このイタリアではロールバーがニルソン用の背の高いタイプに変更されました。前戦オランダGPからまたもフロントノーズのカーナンバーの書体が変更を受けており、今度はサイドに使用されたものと同じ書体が用いられています。ドライバー名は記入されていません。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、サイドに用いられているのと同じ書体
・フロントウィング翼端板はやや丸い舟形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/04/09) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –


Lotus78 History & Markings – Vol.20 1977 Rd.13 Dutch GP


この連載もついに迎えて20回目、今回はザンドボールトで行われた1977年第13戦オランダGP(8月28日決勝)でのロータス78について取り上げます。ザンドボールトは1985年を最後にF1の舞台からは消えましたが、北海沿岸のリゾート地に設けられたこのサーキットはどこか荒涼とした雰囲気が漂い、照り付ける夏の陽射しと相まってまさにタイトル争いの決闘場というべき緊張感を醸し出していました。1977年シーズンもいよいよ終盤を迎え、タイトル争いのリードを大きく広げていくフェラーリのニキ・ラウダに対し、僅かな可能性を残す挑戦権をめぐる争いは逆に激しさを増していきます。夏の高速サーキット3連戦を終え、中速サーキットのザンドボールトはコーナリングに優れるロータス78を駆るマリオ・アンドレッティにとって、巻き返しを図る絶好の機会であった筈でしたが、しかしその結果は厳しいものとなりました。

写真:1977年オランダGP決勝(LAP6/75)、ホームストレート先のタルザン・コーナーでトップを走るジェームス・ハントのマクラーレンM26にアウトからオーバーテイクを仕掛けるマリオ・アンドレッティのJPS17。僅かなタイトルへの望みを賭けた両者の一歩も引かない攻防は、この数秒後に最悪の結末を迎え、二人の間に禍根を残す事になる。(Motors TV


【FILE 54. 1977 Rd.13 DUTCH GP – August.26-27.1977】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Gunnar Nilsson


参考資料:
・AutoSport 1977年11月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
先ずはグンナー・ニルソンのレースカーであったJPS16。前回オーストリアGPで紹介しましたが、チーム・ロータスは更にサイドスカートの開発を進め、このオランダGPでこれまでのSuck-Upタイプに代わるSuck-Downタイプのスカートを全面的に投入します。Suck-Upタイプはマシン下面に負圧が発生すると、内側に折れ曲がっていたスカートは更に内側に吸い込まれ、結果としてスカートが浮き上がる方向に作用して負圧が抜けてしまうという問題がありました。これに対してスカートを三重に折り曲げた形状をしているSuck-Downタイプは負圧が発生するとスカートは逆に路面に押し付けられる方向に作用し、結果としてより強力なグラウンドエフェクトを得る事に成功しています。また、これと同時にこれまでフロントに偏っていた負圧の発生中心をリア寄りに移す為か、スカートの前後長はリア寄りに短縮されています。この事が功を奏してか、中速サーキットのザンドボールトですがリアウィングの追加フラップは装備されず、トップスピードの向上にも寄与しています。また外観上の大きな特徴として、サイドプレート前下部の形状がこれまでの角張ったものから、丸みを帯びたものに変化しています。マーキング面の特徴として、このレースからニルソンのマシンにもリアウィングのウィニング・ローレルが記入される様になりました。
ニルソンのJPS16はプラクティスでエンジンの燃圧が低下、更にはリアのアンチロールバーが折損するというトラブルに見舞われます。土曜日は途中からスペアカーのJPS18に乗り換えましたがベストタイムはJPS16で記録したものとなり、最終的には今やニルソンにとってはこのポジションでも不満の残る予選5位のグリッドとなりました。そして結局レースでも引き続きJPS18が使われる事となります。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・サイドプレート前下部は丸みを帯びた形状に変更
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/26) 新規作成


【FILE 55. 1977 Rd.13 DUTCH GP – August.26-28.1977】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年11月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
このレースでもマリオ・アンドレッティのレースカーとなったJPS17にもSuck-Downタイプのスカートが装着されています。またマーキングの特徴としては前戦オーストリアより変更されたキルスイッチ現示位置マークがやや下方に下がり、JPS16や18と比較して三角形の底辺がJPSストライプにかなり近い位置になっています。そしてリアウィングのウィニング・ローレルが復活しているのも特徴です。また、このレースでもアンドレッティは引き続きニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVを使用しています。
アンドレッティはこのオランダでは、元々ロータス78が得意とする中速サーキット、しかもマシンのポテンシャルアップも手伝って再びシーズン中盤に見せた好調さを取り戻し、金曜日からマクラーレンのジェームス・ハントをコンマ5秒引き離してトップに立ち、最終的に2位になったリジェのジャック・ラフィーに対してもコンマ6秒の差を付けてポールポジションを獲得します。予選でのアドバンテージとイギリスから3戦連続でのエンジンブローという結果から、アンドレッティは決勝では慎重にスタートし、エンジンを労わって走る作戦に出ます。スタートではその為か、ハントとラフィーに先行されて3番手にポジションを落とします。しかしアンドレッティは落ち着いてラフィーとの差を詰めると3周目にパス、そして5周目に入った時にはハントのテールを捉え、そしてついに6周目のタルザン・コーナーでアンドレッティはアウトからハントにオーバーテイクを仕掛けます。しかしハントはアンドレッティにスペースを与えずアウト側へ寄せた為にコーナー出口で2台は接触、アンドレッティの右フロントタイヤに乗り上げてマシンが宙に浮いたハントは左リアサスペンションを壊してリタイア、アンドレッティはダメージは免れたもののスピンを喫してラフィー、そしてフェラーリのニキ・ラウダとカルロス・ロイテマンに抜かれて4位に後退します。それでもアンドレッティは9周目にロイテマンを抜き返して3位、そして13周目にはラウダをハントと同じ場所でアウトから抜き返して2位に浮上、トップのラフィーに迫ります。しかしその直後の14周目にまたもニコルソンDFVがブロー、これでアンドレッティは4戦連続エンジンブローでのリタイアという結果になりました。その後ピットに戻ったアンドレッティを怒りのハントが出迎えて口論が発生、しかもその後二人を待っていたのはラウダの優勝により、共にタイトルの可能性がほぼ消滅したという現実で、まさに両者痛み分けという結果になりました。そして度重なるエンジンブローに業を煮やしたアンドレッティはチーム・ロータスとの翌1978年への契約更新を渋り、フェラーリへの移籍を仄めかすまでに至りました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は半月形タイプ
・サイドプレート前下部は丸みを帯びた形状に変更
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)
・ニコルソン-マクラーレンのロゴは両バンク前下方のカムカバーに記入


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/26) 新規作成


【FILE 56. 1977 Rd.13 DUTCH GP – August.26-27.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年11月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらはスペアカーのJPS18。どのセッションかは不明ですがアンドレッティが使用しています。ロールバーはアンドレッティ用の背の低いタイプ、そしてドライバー名は記入されていないのはいつもの通りですが、最も特徴的なのはフロントノーズのカーナンバー5で、これまでの物とは全く異なり、カギ部分の先端が丸くなっている新形状が使用されています。しかしこのカーナンバーが使用されたのはこのGPだけで、次のイタリアGPではまた書体が変更されます。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の先端が丸くなっている新形状
・フロントウィング翼端板はやや丸い舟形タイプ
・サイドプレート前下部は丸みを帯びた形状に変更
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/26) 新規作成


【FILE 57. 1977 Rd.13 DUTCH GP – August.28.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Gunnar Nilsson


参考資料:
・AutoSport 1977年11月1日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
FILE.55で述べた通り、ニルソンはレースカーのJPS16にトラブルが発生した為、土曜のプラクティスからスペアカーのJPS18を使用します。こちらは日曜の決勝時の状態で、ロールバーがニルソン用の背の高い物に変更、そしてドライバー名が記入された状態になっています。フロントノーズのカーナンバー6は、FILE.53で紹介した、カギ部分が折れ曲がっていない新書体(サイドに使用されている書体に近いが、幅はやや狭い)が使用されています。またリアウィングのウィニング・ローレルも記入された状態になっています。また予選で5番手のグリッドを獲得し、アンドレッティとタイトルを争うラウダを追い落とす役割を期待されたニルソンは、今回もコスワースのスペシャルDFVが充当されました。
決勝を5位からスタートしたニルソンはスタートでティレルのロニー・ピーターソンに先行されましたが、ハント、アンドレッティが消え、そしてバトルを展開していたピーターソンが電気系統のトラブルで後退するとニルソンは4位に浮上、そしてペースアップしてラフィー、ラウダ、ロイテマンが争うトップ集団に追い付き、25周目にはロイテマンのテールを捉えます。しかしニルソンのJPS18はブレーキに不調が発生してしばしばロックする様になり、ロイテマンに詰め寄るもののブレーキング勝負に持ち込む事が出来ずに膠着状態が続きました。そして35周目のパノラマ・シケインの入口でJPS18はブレーキがまたもロックしてニルソンはスピン、ロイテマンのリアウィングをヒットした後にサンドトラップに捕まってリタイアとなり、これでニルソンも3戦連続のリタイアとなりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6は、カギ部分が折れ曲がっていない新タイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・サイドプレート前下部は丸みを帯びた形状に変更
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面にウイニング・ローレル記入(USGPウェスト、スペインGP、ベルギーGP、フランスGP:計4個)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/26) 新規作成


Lotus78 History & Markings – Vol.19 1977 Rd.12 Austrian GP


今回はオステルライヒリンクで行われた1977年第12戦オーストリアGP(8月14日決勝)でのロータス78について取り上げます。シルバーストーン、ホッケンハイムと同じくこのサーキットも1987年のGPを最後に大改修を受けましたが、同じく高速サーキット、特に山岳地帯の裾野というロケーションのお陰でアップダウンも激しく、非常にスペクタクルなコースでした。また雨のレースと初優勝が多い事も特徴で、特に1975年にマーチのヴィットリオ・ブランビッラが豪雨の中初優勝のチェッカーを受けた時、熱狂のあまりステアリングから両手を離してガッツポーズを取った為、スピンしてピットロード出口のガードレールにクラッシュしてしまったのは有名な語り草となっています。そして1977年のレースでも雨が絡み、シャドウのアラン・ジョーンズがチームと自身にとっての初優勝を遂げたレースでした。

写真:1977年オーストリアGP決勝(LAP32/54)、地元レースで4位を走っていたニキ・ラウダのフェラーリ312T2をパスし、更に最終ヨッヘン・リント・カーブの入口で3位を走るジョディ・シェクターのウルフWR3のインに突撃するグンナー・ニルソンのJPS16(左)。リスキーな高速コーナー、しかも雨上がりでイン側の路面は濡れていて水溜りも残っている状況で、ドライタイヤで全く躊躇せず大胆に斬り込んだその姿に、ロータス78のコーナーにおけるアドバンテージと、この時ドライバーとして急成長中だったニルソンの絶対的な自信が伺える。(Motors TV


【FILE 50. 1977 Rd.12 AUSTRIAN GP – August.12-14.1977】 v1.0
JPS16(78/2) Driver: Gunnar Nilsson


参考資料:
・AutoSport 1977年10月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
前戦西ドイツGPではレースカーのJPS16にトラブルが発生した為、スペアカーのJPS18でレースに臨んだグンナー・ニルソンでしたが、このオーストリアでは再びJPS16がレースカーとして充当されました。タバコ広告禁止だったイギリス、西ドイツの両GPを終え、マシンには再びJohn Player Specialのロゴが復活しています。しかし引き続き高速サーキットのレースの為、リアウィングは追加フラップの無いローダウンフォース仕様が引き続き使われており、ウィニング・ローレルも無い状態です。このレースからの特徴として、モノコック右側にあるキルスイッチの現示位置を表すマークが、これまでの「E」の文字を丸囲みしたデザインから、青地の三角形に赤い稲妻をあしらったデザインに変更されています(特記しない限り本GP以後に登場する全車に共通)。また、このレースではニルソンはコスワースのスペシャルDFVを使用した模様です。
ニルソンはこのオーストリアではプラクティスからトラブルに見舞われます。金曜にはショックアブソーバーが壊れて午前中のタイムを更新出来ずにポジションを落とし、更に土曜日には西ドイツに引き続きエンジンがブローしてスペアカーのJPS18に乗り換えたものの、結局金曜午前のタイムがベストとなり予選は16番手に沈みました。日曜の決勝スタート前、前夜から降った雨は上がって空からは陽が差し始めたものの路面はまだウェットという状況の中、各車は難しいタイヤ選択を迫られましたが、ニルソンは後方グリッドに沈んだ事もあってウェットタイヤで序盤に順位を稼ぐ作戦に出ます。レースがスタートすると、ニルソンはウェットタイヤのアドバンテージを活かして慎重に走る前車を次々とパスして1周目終了時で早くも7位に上昇、4周目にはアンドレッティに次ぐ2位にまで浮上します。しかし予想よりも早く路面が乾き始めてラップタイムが急激に落ち出したニルソンは10周目にピットイン、コースに戻った時には12位まで順位を落としてしまいました。しかしニルソンはまだハーフウェットのコースで今度はロータス78のコーナーでのアドバンテージを活かして得意の猛チャージを見せ、30周目には5位にまで順位を上げます。勢いの止まらないニルソンは32周目に4位を走るフェラーリのニキ・ラウダと3位を走るウルフのジョディ・シェクターのバトルも抜群のスピードで立て続けにパスして3位に浮上します。しかしニルソンの快走もここまでで、2位を走るシャドウのアラン・ジョーンズの背後に迫ろうとした38周目にコスワースのスペシャルDFVは周囲にパーツが飛散する程の派手なブローを喫し、ニルソンはベルギーに次ぐ2勝目も現実味を帯びてきた状況の中で無念のリタイアとなりました。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6はカギ部分が折れ曲がっているタイプ
・フロントウィング翼端板は舟形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面のウイニング・ローレル無し


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/18) 新規作成


【FILE 51. 1977 Rd.12 AUSTRIAN GP – August.12-13.1977】 v1.0
JPS17(78/3) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年10月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
このレースで使用されたマリオ・アンドレッティのJPS17。注目すべきはサイドプレートの形状で、前下方部がこれまでの角張った形状から丸みを帯びた形状へと変化しています。尚、次戦オランダGPではこのサイドプレートと共にSuck-Downタイプ(プレートをパンタグラフ状に折り曲げた方式:詳細はオランダGP時に解説)が投入されていますが、このレースでは従来のSuck-Upタイプを使用しています。また文献ではアンドレッティはこのレースではニコルソン-マクラーレン・チューンのDFVを使用したとされていますがそのロゴの位置が確認出来る写真が無い為、サイドウィングのアップスイープで隠れてしまうカムカバー後下方に記入された可能性があります。
このGP前、対パンク性に優れた固めのタイヤを勧めるグッドイヤーに対し、ロータスのボスであるコーリン・チャップマンはロータス78のコーナーでのアドバンテージを活かす、よりソフトなタイヤを要求した為に両者の間で対立が起こります。しかし結局ソフトタイヤを使用する事が出来たアンドレッティはイギリス、西ドイツでの不振から脱出して3位のグリッドを獲得します。FILE.50で述べた通り、決勝は天候が回復するも路面はウェットという状況の中、アンドレッティは他の上位陣と共にドライタイヤでのスタートを選択、オープニングラップでマクラーレンのジェームス・ハント、そしてタイトルを争うフェラーリのニキ・ラウダもパスしてトップに浮上します。ハーフウェットの路面でロータス78のグラウンドエフェクトは大きなアドバンテージとなり、瞬く間に後続を引き離して独走態勢を築きました。しかし早くも12周目にアンドレッティのニコルソンDFVはブロー、3戦連続のリタイアとなり、しかもこのレースでもラウダは2位に入った為、アンドレッティはタイトル獲得がほぼ絶望的な状況に追い込まれました。チーム・ロータスにとってもイギリスGP以来両ドライバーで出走述べ6回中5回のリタイア、しかも原因は全てエンジントラブルという結果となり、更にこのレースでは同じくタイトルを争うハントもトップ走行中のレース終盤にニコルソンDFVがブローしてリタイアしており、ラウダのフェラーリ12気筒に対抗するDFV勢の苦しさが浮き彫りとなった結果となりました。

<外観上の特徴>
・サイドウィング前下部は丸みを帯びた形状
・フロントノーズのカーナンバー5は、カギ部分の根元が斜めにカットされた形状
・フロントウィング翼端板は半月形タイプ
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面のウイニング・ローレル無し
・ニコルソン-マクラーレンのロゴは両バンク後下方のカムカバーに記入(推定)


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/18) 新規作成


【FILE 52. 1977 Rd.12 AUSTRIAN GP – August.12-13.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Mario Andretti


参考資料:
・AutoSport 1977年10月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
こちらはスペアカーとして持ち込まれたJPS18。どのセッションかは不明ですが、アンドレッティがこのスペアカーのコクピットに収まった写真が確認出来ます。ロールバーはアンドレッティ用の背の低いタイプ、そしてフロントノーズのカーナンバー5はFILE.45で紹介したのと同じくカギ部分が出ている旧タイプを使用しています。また、これまでJPS18では未記入としていたインダクションボックスのKONIロゴですが、このレースでは記入された状態が確認されています。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー5は、スペインGPプラクティスで使用されたタイプ
・フロントウィング翼端板はやや丸い舟形タイプ
・ドライバー名なし
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面のウイニング・ローレル無し


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/18) 新規作成


【FILE 53. 1977 Rd.12 AUSTRIAN GP – August.13.1977】 v1.0
JPS18(78/4) Driver: Gunnar Nilsson


参考資料:
・AutoSport 1977年10月15日号
・外部リンク >> 「A BOOKSHELF」
FILE.50でも述べた通り、ニルソンは土曜日のプラクティスでレースカーであるJPS16のエンジンをブローさせ、スペアカーのJPS18を使用しました。これはその時と思われるJPS18で、ロールバーはアンドレッティ用の背の低いタイプを使用、そして右側サイドウィングのカーナンバーももはやお馴染みのフロントノーズ用のステッカーを貼付した状態となっています。しかし今回はアンドレッティ用の「5」を残した状態て貼付されており、「6」の外側に「5」の一部が見えるという、かなり見栄えの悪い状態となっています(左側は推定)。特筆すべきはフロントのカーナンバーで、従来のスペアカー等で用いられた、カギ部分が折れ曲がっていないタイプをベースに、横幅がやや広がった新しい書体(サイド用のカーナンバーよりもやや幅が狭い)が使用されいます。

<外観上の特徴>
・フロントノーズのカーナンバー6は、カギ部分が折れ曲がっていない新タイプ
・フロントウィング翼端板はやや丸い舟形タイプ
・ドライバー名なし
・右側サイドウィングのカーナンバーはフロントノーズ用を代用(左側は推定)
・右側キルスイッチのデザイン変更
・リアウィング上面のウイニング・ローレル無し


<改訂履歴>
・v1.0(2012/03/18) 新規作成


ご意見、別考証・別見解など歓迎します。コメント欄をご利用ください。

– END –